名前を「売る」、ということ。
何周目だか分からない実名匿名論争、(Twitterやブログなんかを前提とした)ネット空間でも実名でアウトプットを!なんて話。
それは『名前を「売る」ことでなんとか(リアルでの)自分の稼ぎのネタにしようと汲々としてるひとたち向けに限定した話』だと注釈つけたほうがいいんじゃないですか。
Twitterは無料だし。
たとえ有料会員としてブログしているといえど(ビジネス用と考えれば)非常に廉価だし。
……そんな((ほぼ)無料の)ユーザーの分際で稼ごうというひとたちの話、だと。
……というのは前稿の繰り返しになりますが。
でも、そうと違うの?
リアルビジネス前提でなければ、なんで「名前を売る」必要が出てくるんですか?
ネットのことはネットで/ネットではネットのことをと思うなら、
ましてや、ネットコミュニケーション(を楽しむこと)そのものが目的であるなら、
そこに実名(はおろか、あらゆるリアルでの属性)は本来何の関係もないはずでしょう?──そこに意味を求めて「目が曇る」原因になりこそすれ、ポジティブな要素としては。
……ということで、決してかみ合うことのない論争に巻き込まれてゆくのは、いくら言いだしっぺとはいえ、ビジネス派の側にものすごい損失になると思うんですよ。
だから。
何度も何度も繰り返しますけれども。
「がんがん(自分の)稼ぎに使おうぜ!」派と「楽しいだけで十分だ」派が同じフィールドに居るのは、やっぱり良くないんだと思う。とくにビジネス派にとって。
……それでも「ここ」に留まるの?留まりたいの?
名前を「売る」、のであれば。
「売れた」対価は必ずしもポジティブなものばかりではないことを、そのリスクにも目を向けられますよう。
関連→畏れよ、未来を(2006.03)
そして、名前を「売る」目的でネットでアウトプットしてるひとなんてホンの一握りに過ぎないことを十分に弁えて欲しいし、実名を推奨するにしてもその注釈はしっかりとつけていて欲しい。
だから、「楽しいだけで十分だ」という側は。
なにも実名を出さないことを卑屈になることはないのです。
「ネットコミュニケーションそれ自身が目的」であることを、
画面の枠の中にとどまるその純粋さを、
それを"高潔さ"として誇っていいのだと思います。
関連→純粋になろうよ。(2009.03)
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