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2009.10.23

ネットユーザーが肝に銘じておくべき、この2つのフレーズ。

1.『Borrowed Place, Borrowed Time』(借り物の場所、借り物の時間)
2.『平家物語』の冒頭部


……予言は外れ続けているけれど(後述)、でも、いくつものサービスを最期まで看取った者としては、やはりこういう表現には言い返したくなるもので。

湯川鶴章のIT潮流 powered by ココログ: 「Amebaなう」はTwitterにとって強敵にはならない:

今はツイッターが世の中を変える的な論調が多く、僕も同様の主張をしている一人だけど、(中略)
「つぶやき」や「現状報告」などの短いメッセージが、「地球の鼓動」になる可能性まであるというサービス

そのサービスが──類似のものも含めて──いつまであり続けるでしょうか?と。

かつてブログをそう揶揄したら今まで続いていたりして、他にも少々あるのですが、どうも私が失笑の意思を示すと意に反して長寿フラグが立つ(そして逆に愛着を持つとすぐ終わる)、という法則があるような気がしているこのごろですが、しかし。

どんなサービスも私企業(または個人)の私物であって、単に利用規約にそう書いてある、というだけでなく、実際として実にあっさりと終わりを迎えるものですから──どんなに賑わっていたとしても!
わたしたちユーザーは、いっときその「場」を間借りさせてもらっているにすぎないわけで(しかも最近はほぼ無料で)。

「いつ終わるかも知れない」ということを、
「いつ使えなくなってもいいように」という心構えを、
わたしたちは常に持っておくべきなんだと思うのです。

山口文憲『香港 旅の雑学ノート』(新潮文庫:1985:絶版らしいのでリンク不能)で知ったこのフレーズ:
『Borrowed Place, Borrowed Time』(借り物の場所、借り物の時間)
ということを、そして、

『平家物語』の冒頭部、すなわち、

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響有り。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる者も久しからず、唯春の夜の夢の如し。たけき者も遂には亡びぬ、偏に風の前の塵に同じ。

日本文学電子図書館-平家物語・百二十句本(京都本)より引用)
ということを。

どうも、みんな(まぁわたしの観測範囲ですが)、そういう意識が薄らいでいる、というより、「永遠」だと信じてるんじゃないかと思うことがあるので。
……そんなことはないんですよ。
(自分の寿命が先に尽きれば、まぁ、そのひとにとっては「永遠」なんですけどね)


余談。

湯川鶴章のIT潮流 powered by ココログ: 「Amebaなう」はTwitterにとって強敵にはならない:

1社のデータセンターが「地球の鼓動」をすべて管理してはいけないと思う人は多いはずだから、いずれツイッター的なサービス間の橋渡しをするための標準化の動きが起こるだろう。
だからこの時点でツイッター同様のサービスが幾つか出てくるのは健全なことだと思うし、市場を分断し合うのも健全なことだと思う。

少し前に読んだこのエントリと対比してみる。

F's Garage:twitterによって世界が集約され心の戦争が起きる:

他のつぶやきサービスが出てきても、原則的にアテンションを分散させることが、一番意味のない行為だと思っているので、他のサービスには対応させなかった。
今でもtwitter以外のつぶやきサービスは全部消滅しろと本気で思っている。それをやることは、インターネットユーザーにとって本質的ではないと思っている。断絶が起きることはユーザー利益に反する。

お二方ともエントリを読む限りパソ通上がりの(という意味で共通の出自をもつ)ベテランさんながら、正反対の意見なのが興味深く、文章量の主従からいうと引用の範囲を超えるとは思いつつ取り上げてみました。





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2009.10.19

それは、ブログのたどった道。

Twitterをプロモーションに使おうとして始まる前にコケた事例があったとか、
それは、かつてブログがさんざん煽られた道を、懲りもせずまた同じようにたどろうとしてるんじゃないの?というおはなし。

twitter のハッシュタグ衝突問題とサイバーカスケードの制御可能性 - 児童小銃:

だとすれば twitter を企業がプロモーションに利用するという目論見はかなり無理があるということになり、twitter そのもののマネタイズにも暗雲が漂う、ということなのかも…

え?
今回の件、米国の某ソフト会社と日本の某通信会社のどちらか、または両方がTwitter Inc.にお金払って実施していた話なんですか?

そうであれば完全にTwitter Inc.のミスであり自滅ということになりましょうが、
今回そうではない、とすれば。
このプロモーションが成功してTwitterが大いに賑わったところで、Twitter Inc.にしてみれば(サーバー負荷が高まりこそすれ)直接的には1セントの収入にもならないのでは?というのがひとつ、

使う側も「無料サービスの無料アカウント」に乗っかったりせんと、やるんやったら自分のカネで自分とこのドメインでやらんかいなケチくさい、というのがもうひとつ。

……という2つの見方、なぜか見当たらなかったのはわたしの巡回範囲が狭かっただけ??
(いや、先駆実験として、であろうことは承知しておりますが)


さて、将来ほんとにTwitter Inc.にお金払ってプロモーション活動、という道ができたとして。

100の事例があったとして、さあ……成功するのが2つか3つ、今回みたいにコケるのがそれより少し多いか、残りの9割がたは『空振り』(よくも悪くも話題にならないまま)になるんじゃないかなぁ、と、かつてのブログがそんな感じじゃなかったですか???

それで稼ぎたいひと、使わせることで儲けたいひとが成功事例ばかりをとりあげて煽るから(そりゃ当然ですが)、失敗事例(の教訓)がいつまでも共有されずに、しかも本来売りたかった製品やサービスそれ自体の質とは全く関係ないところで評価される(よくも悪くも)。

それで、広告の体をなしているのかなぁ、と思うのがひとつ。

関連→まだ煽りますか(苦笑)(2007.03)

個人利用ならそれで夢見るのもまぁ悪くはないのでしょうが、本来の製品やサービスを売らんがための営利活動でしょう……?
従前の「広告」だったら、そんな"打率"で許されるわけは無かろう、と思うのがもうひとつ。
……いや全然知らないんですけど(笑)、実際どうなんですか>業界関係者
まぁ、掛ける(掛かる)お金の桁が違うとかいろいろあるのでしょうが。

そんなこんなで、素直にバナー広告出稿するほうがよほど……と思ったりするのですけれど、Twitter Inc.の収入という面でも(^^;;;。


「コミュニケーション」と「宣伝や収入手段」とは分離、というか棲み分けていてほしいなぁ、という望みのもとに。

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2009.10.17

「実力が継続を作る」のかも。

だって、年輪が(そのまま比例で)評価に上乗せされるんだったらですよ、おいら、「ココログ初期組」として、もうちょっとばかり"上"に位置しても、……(涙

継続は力なんだろうな - 秋的屋:

アルファブロガーと呼ばれる人や有名なニュースサイトを見ていると9割くらいの人が長い間ブログやニュースサイトをやっています。短い人でも2年、5年以上という人も多いです。やはり「経験」というものは侮れません。

……それ、因果が逆かもしれないですよ。

あのひとたちの人気は、当人たちの個性の実力によって、続くべくして続いているんだ、という見方ができるかもしれません。
「継続が力になった」のではなく、「実力が継続を作っている」という可能性。


もちろん、長く続けることによって見えてくるものは人それぞれにあるとは思います(それがポジティブなものとは限りませんが)。
ただ、なんだかんだ言っても「エントリ単位でしか読まれない」とは遥か以前から言われていることですし、相手の"年輪"がどれほどかなんて、評価軸になることはない、というかほとんど興味の外ではないでしょうか?


ようするに個人差の世界ですし、続けてみないと分からないのは確かですが、続ければ続けただけなにかが上向くとは限らない、ことだけは保証できます(笑)。

逆に言うとそれがこの賑わいの元なのかもしれないですが。
わたしはもっと評価されていいはず、という未練が原動力になっている、という。

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2009.10.11

前世紀に夢想してたこと(公共交通の復権を!)

『クルマというのは22(今は200)の緑ナンバーのことや』
『排気量4ケタ程度のものをクルマとは呼ばんわ!』
とか怪電波飛ばしまくってたこともある公共交通Loverです、こんにちは。

※まめちしき:一般路線で9000~13000,観光/高速タイプだと18000~24000cc位>バスのエンジンの総排気量


アゴラ : 自家用車に環境税を - 池田信夫:

さらに根本的な問題は、自家用車という非効率かつ社会的費用の大きい輸送手段に依存している状況を、さらに悪化させることです。

というのが話題になっていたので悪ノリしてみようかと。

昔考えたことあったな、と残しているNifTermのログ漁ったら未だトラウマになってる相手とのやりとりが出てきて気分が悪くなったわけですがそれはともかく:
以下夢想。


マイカーを減らすには免許取得のハードルを上げればよい。
いまの二種免許程度の難易度に引き上げて、「クルマの運転というものは基本的にプロフェッショナルが職業として行うもの」というコンセンサスを植えつける。

当然公共交通の充実とセットで。

余剰になるクルマの生産リソースはバスのそれに振り向ける。

一次産業とか「どうしても自分のための車が要る」ひとはどうするの、という点は路線・エリア限定免許(居所と作業場(田畑とか)と集荷場の相互往復or三角運航のみに限定、など)で対応する。


……なんてことを考えてたりしました。
数千万人の免許既取得者はどうするの、とか考えてませんでしたけど...

あと交替勤務もムリなんですよね(特に地方だと)。早番に間に合うような汽車もバスもないし、後番終わったらバスはないし。

平日朝のニフティ本社(品川区・大森ベルポート)前には、小はワンボックスカーから大は「はとバス」のデカいのを貸切ったものまで、従業員送迎用バスがずらりと並んでいたりしましたが、東京程度に地価が高くないと(通勤駐車場の土地を持つ、と毎日バスを走らせる、の比較で)そういうインセンティブが働かないのかなと思ったりもしますが。

過疎地の日常生活だといわゆるコミュニティバスの投入なんかで交通網維持への取り組みができつつはあるのですけどね...


たぶん問題も残酷物語もあるにせよ、現状でも全国あまねく「日々の通学」がとりあえずは成り立っているのだから、もうちょい充実させれば通勤はじめ「日々の生活」も公共交通の枠内でなんとかならないものでしょうか。


公共交通Loverとしては、そう思います。

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2009.10.10

世界規模のフリートーク。

パソコン通信"NIFTY-Serve"の昔には。
なにかの趣味や話題をテーマに存在したのが各フォーラムですが、
その中には「会議室」がありまして。
細分化されたテーマごとの部屋、なのですが、
大抵「フリートーク」の会議室もありまして、ようするに雑談部屋ですね。
これまた大抵はそこが一番にぎわっていたものですが……


一般のブログとか、Twitterとか。
こんな無制限な「オープンでフラットな」場でわいわいやってるのって、つまりはパソ通になぞらえれば「世界規模のフリートーク」をしてる、ってことなんじゃないかと。

そう思いませんか>経験者ALL

だから、
こみいった話になればそれぞれの部屋に誘導されたものだし、また自発的に河岸を変えていた、
そうでしょう?
そのモラルを忘れたの?
なぜ「棲み分け」に頷かないの?
いつまで「フリートーク」に留まってノイズを嘆いたり"マジメ"と"娯楽"で決してかみ合うことの無い衝突に明け暮れるつもりなの?

……「娯楽派」にしてみればそれもまた一興ですけれども(笑)、ちゃんとしたレベルで結論を出したい話なら、シリアスな話にちゃんと向き合って欲しいのなら、場の設定についての「過去の経験」を活かすべきだと思いますよ、ほんと。




関連:
「バカやって楽しむ」ことを引き受ける場、という考え方。(2009.05)
ブログの2000日、そしてやっぱり『棲み分け』のススメ。(2009.05)


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2009.10.07

名前を「売る」、ということ。

何周目だか分からない実名匿名論争、(Twitterやブログなんかを前提とした)ネット空間でも実名でアウトプットを!なんて話。
それは『名前を「売る」ことでなんとか(リアルでの)自分の稼ぎのネタにしようと汲々としてるひとたち向けに限定した話』だと注釈つけたほうがいいんじゃないですか。

Twitterは無料だし。
たとえ有料会員としてブログしているといえど(ビジネス用と考えれば)非常に廉価だし。
……そんな((ほぼ)無料の)ユーザーの分際で稼ごうというひとたちの話、だと。

……というのは前稿の繰り返しになりますが。


でも、そうと違うの?
リアルビジネス前提でなければ、なんで「名前を売る」必要が出てくるんですか?


ネットのことはネットで/ネットではネットのことをと思うなら、
ましてや、ネットコミュニケーション(を楽しむこと)そのものが目的であるなら、
そこに実名(はおろか、あらゆるリアルでの属性)は本来何の関係もないはずでしょう?──そこに意味を求めて「目が曇る」原因になりこそすれ、ポジティブな要素としては。


……ということで、決してかみ合うことのない論争に巻き込まれてゆくのは、いくら言いだしっぺとはいえ、ビジネス派の側にものすごい損失になると思うんですよ。

だから。
何度も何度も繰り返しますけれども。
「がんがん(自分の)稼ぎに使おうぜ!」派と「楽しいだけで十分だ」派が同じフィールドに居るのは、やっぱり良くないんだと思う。とくにビジネス派にとって。
……それでも「ここ」に留まるの?留まりたいの?


名前を「売る」、のであれば。
「売れた」対価は必ずしもポジティブなものばかりではないことを、そのリスクにも目を向けられますよう。

関連→畏れよ、未来を(2006.03)

そして、名前を「売る」目的でネットでアウトプットしてるひとなんてホンの一握りに過ぎないことを十分に弁えて欲しいし、実名を推奨するにしてもその注釈はしっかりとつけていて欲しい。


だから、「楽しいだけで十分だ」という側は。
なにも実名を出さないことを卑屈になることはないのです。
「ネットコミュニケーションそれ自身が目的」であることを、
画面の枠の中にとどまるその純粋さを、
それを"高潔さ"として誇っていいのだと思います。

関連→純粋になろうよ。(2009.03)




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