たとえば、もし「今すぐ」Twitterが消え失せたとして。
対象に「ハマる」ことと「帰属意識を持つ」ことはイコールではないのだろうか。
なんか、「Twitter楽しいよ!」って何かにつけては言いまくってるひと(たち)ほど、まったく動じることなく次の遊び場見つけて、涼しい顔しておんなじように「○○楽しいよ!」って言い出す、ような気がする。
べつにTwitterに限らないのだけど、
あるWebサービスにハマって楽しさを喧伝しまくるひとを見ると「で、それ、いつまで続くと思ってんの?」と心配になる。
だけどそういうひとは、同時に「退潮を察知して転身する」能力も一流のようで、言われた側は置いてけぼり喰らわされて、もう何も信じられなくなる。
あちこち見ていると、
ブログでもSBMでもSNSでも、ハマってる、と公言しながら同時に愛着や帰属意識はない、と言い切るひともわりといますよね、
あれ、どうも信じられなくて。
"パソ通上がり"の私なんかからすると、
そのサービスに「ハマる」ということは、そのサービスへの「愛着」にとどまらずその運営会社への「帰属意識」を持つこととほぼイコールだったりしたわけですが……
それはそれで閉鎖的になったりひいきの引き倒しになったりする恐れはあって、実際パソ通に関してそういう反省も無くはないんですけど、
ハマりながらも愛着(執着)はない、みたいな物言いを見ると、どうも、「えっ?」と思ってしまうんですよねぇ……(^^;;;
実際いろいろ引きずってるから。
関連→理屈じゃないのよ帰属は HA HAN~♪(2009.09)
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