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2009.12.24

失笑を通り越して、これはもはや恐怖。


ブログネタ: ネット選挙、賛成?反対?参加数






ココログのブログネタで出ていたことで気づいたのですが、Yahoo!が参戦していたのですか。

Think!ネット選挙 選挙に関する情報源拡大を求める署名にご協力ください。:@nifty経由:
来年も、今年と同じ選挙でいいですか?(Yahoo! JAPAN意見広告)

……意見広告が出たのが10月末ですか、たいして(継続的な)話題になってはいないところを見るとそれほど真に受ける必要もないのかもしれませんが(いまになってニフティが出てきたのはテコ入れ?)、

これは怖い。

原則反対します
ネットで話題になる、ということは、善悪いづれでもひどく単純化されて猛烈に増幅され、そしてごく短期間のネタとして消費される、ことを意味します。

そのような「刹那の」「極端な」振れがリアルに影響を与えていいはずはないし、むしろ影響を与えることなどあってたまるか、というのが正直な感想であります。

従前の選挙公報や政見放送の延長線上のものとして、
『一方的な情報提供を旨として』
『選管等の公式・公的ドメインの下で』
『各候補の扱いが絶対平等である』
(好ましくは高度なセキュリティ機能を付して)条件であれば、
字義通りの「情報源拡大」としては、まぁ考慮に値するかな、とは思いますが。


以前書いた:

もう笑うしかない(主に失笑として)(2009.07)

という考えはいまも変わりなくベースにありますが少々付け加えて。


『情報を取るための敷居が下がる』ということにはたしかにメリットもあるのでしょうが、
他方、「それが消費され簡単に捨てられる」ことに、
そして、いわゆる脊髄反射というか「直情的に反応してしまう」ことに、
拍車をかける恐れも多分にあるのではないでしょうか、現状を見るに。

いまでも相当ワイドショー化している、とはいえ、さらにこれ以上(個々人の感情的に)ネタとして軽く扱う、そのような方向へ持ってゆこうとするのは非常に恐ろしく感じるのです。

「じっくりと」「冷静に」考えなければならないこと、のはずなんです。
政治や選挙といったたぐいの話題をネット(での話題性)というような「流速のはやさ」に、ちょっとしたことで噴き上がるような「沸点のひくさ」に、乗せていいものとは思いません。


ぜひとも考え直していただきたく、強く強く願います。

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