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2009.12.28

今年はひっそり上げる、自選エントリ2009

去年は「思っただけ」でしたが今年は本当に予定稿作って待っていたら……

まなめさん、今年は募集しないこと確定ですか(T_T)
もしや・・・去年おいらが1番乗りしたのがまずかったか・・・
なにかを見透かされていたかのような。


ともあれ予定稿を腐らせるのは性に合わないので公開。


1つ目、
時速/日間のアクセス記録を更新したこのエントリ:

そういう使い方、大っぴらに言うたらアカン思うねん、やっぱり。(2009.06)

これを書いたときからはTwitterヘルプの表現も変化していて、あるいは周囲の報道を見ていても Twitter Inc. 自身が「商売目的のつぶやき」をかなり歓迎する方向に変わりつつあるようには思えますが、
それでも一般ユーザーのレベルでは『「(ゆるい)コミュニケーション」の基盤』であることがまず前提であろう、という考えに今も変わりはありません。
まぁ"ガンガン使い倒す"のはいいとして、無料ユーザーなんですし、サーバーに負荷をかけこそすれ Twitter Inc. の収益には直接貢献もしていないのですから、

もうちょっと"運営"に敬意と恭順の意を示してもいいんじゃないの、と思うのと、
無料ユーザーの分際でテメェの(稼ぎの)ための情報/人脈集めにシャカリキになる(のを薦める)のはどないやねん、というニュアンスも込めたつもりだったのですが、
いただいたソーシャルブックマークのコメントなど見る限り特に後者を読み取ってはいただけなかったようで、ここにはっきり表明しておきます。


2つ目:

もう笑うしかない(主に失笑として)(2009.07)

思い上がるにも限度があろう!
以上。


……という考えの根底にあるのが3つ目:

『生存。社会化。娯楽。これが進歩だ。』(2009.06)

「残念」騒動』の一件(歴史の彼方のような気がしますがホンの半年前です)を契機に今年は繰り返し書きましたが、

ネット──少なくとも『「オープンでフラットな」ネットコミュニケーション』というものの中で、ほんとうにシリアスな事柄の解決や本気で切磋琢磨を目指すなどもはや望んではならないし、
少なくとも物書きでも個人事業主でもない者が「個人の資格で」なにごとかをアウトプットする場合において、コミュニケーション、すなわち読まれて(好ましくは反応されて)ナンボ、ということそのもののみが目的であり、それ以上を望むべくもないんだよ、ということを、

いまだ「それ以上」を夢見るひとたちには強く強く再考を促したい、という気持ちを、

繰り返し繰り返し伝えたかったし、たぶんこれからも伝えたい、と。


何年目かにして、やっと、自分の"本筋"であるところのネット(コミュニケーション)論で3エントリを埋められたことをうれしく思っていた……のですが……(冒頭に戻る)

これも「ナントカの法則」というやつですか(苦笑)。



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2009.12.24

失笑を通り越して、これはもはや恐怖。


ブログネタ: ネット選挙、賛成?反対?参加数






ココログのブログネタで出ていたことで気づいたのですが、Yahoo!が参戦していたのですか。

Think!ネット選挙 選挙に関する情報源拡大を求める署名にご協力ください。:@nifty経由:
来年も、今年と同じ選挙でいいですか?(Yahoo! JAPAN意見広告)

……意見広告が出たのが10月末ですか、たいして(継続的な)話題になってはいないところを見るとそれほど真に受ける必要もないのかもしれませんが(いまになってニフティが出てきたのはテコ入れ?)、

これは怖い。

原則反対します
ネットで話題になる、ということは、善悪いづれでもひどく単純化されて猛烈に増幅され、そしてごく短期間のネタとして消費される、ことを意味します。

そのような「刹那の」「極端な」振れがリアルに影響を与えていいはずはないし、むしろ影響を与えることなどあってたまるか、というのが正直な感想であります。

従前の選挙公報や政見放送の延長線上のものとして、
『一方的な情報提供を旨として』
『選管等の公式・公的ドメインの下で』
『各候補の扱いが絶対平等である』
(好ましくは高度なセキュリティ機能を付して)条件であれば、
字義通りの「情報源拡大」としては、まぁ考慮に値するかな、とは思いますが。


以前書いた:

もう笑うしかない(主に失笑として)(2009.07)

という考えはいまも変わりなくベースにありますが少々付け加えて。


『情報を取るための敷居が下がる』ということにはたしかにメリットもあるのでしょうが、
他方、「それが消費され簡単に捨てられる」ことに、
そして、いわゆる脊髄反射というか「直情的に反応してしまう」ことに、
拍車をかける恐れも多分にあるのではないでしょうか、現状を見るに。

いまでも相当ワイドショー化している、とはいえ、さらにこれ以上(個々人の感情的に)ネタとして軽く扱う、そのような方向へ持ってゆこうとするのは非常に恐ろしく感じるのです。

「じっくりと」「冷静に」考えなければならないこと、のはずなんです。
政治や選挙といったたぐいの話題をネット(での話題性)というような「流速のはやさ」に、ちょっとしたことで噴き上がるような「沸点のひくさ」に、乗せていいものとは思いません。


ぜひとも考え直していただきたく、強く強く願います。

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2009.12.23

一つ一つではなく、「今までに浴びたもの全体」によって変えられてゆくのかも。

……というはなし、そういえば以前しましたよね。

むしろじわじわと蝕まれ…もとい、変わってゆくこと。(2007.12)

『読んで「心の隅に残ったもの」』の蓄積が、こう、効いてくる、というか。


説得されること、あるいは価値観が変わること - novtan別館:

ウェブで見たり聞いたり議論したことでよかったと思っているのは、わりと広いジャンルについて、自分で考えるための知識や考え方を知ったことかな。本を読むことと似ているけれども、違う考え方を持つ人たちが寄り集まってわいがややっていることはとてもありがたい。

ウォッチャーとして、というと印象悪いですけど(^^;、完全に客観でROMってたほうが"素直に"インプットになるような気もします。
わいがやの中に入ってしまうと、どうしても固執するし、ちょっとした表現のミスをきっちり突かれて曲解されるし、ということがありましてですね……(苦笑)
双方向コミュニケーション自体はものすごく望んでいるわたしですが、「議論の中に入る」のは、年季が入るごとに億劫になっていたりもします。


議論で人を説得するのは難しいかもしれないけれど、なにがしかの妥協点を見いだすことは出来るだろうし、色々なことを知ることができる。ただ、「事実」を知ることは難しい。今そこにある問題を解決する手段をウェブに求めるのはお門違いな部分はあるかもしれない。

これは、ねぇ……
みんな気づけよ、とほんとに思うんですけどねぇ。

すべてが娯楽になった世界に在りて君は何を想うのか(2006.09)

『今そこにある問題』がシリアスであればあるほど、問題を投げかけた人が深く傷ついてしまうこと。
いろいろなジャンルでそういう事例が積みあがってきて、もちろん当事者にとっては不幸なことなんですけれども、せめてその積み重ねが「ネットコミュニケーションの使い方」の教訓になれば、と思うのですが……過去の事例から学ぶ、というのが効き辛い世界でもあるんですよね、ここって……。


それでも、10年、100年かけてでも、世の中を良くしたい、あるいはこういうことがあるのを知らしめたい、という何かがある人は説得や情報伝達を試みてもよいのではないかと思う。大事なのはその場で受け入れてもらうことではなく、考え方を知り、そして考えてもらうことだと思うから。

ここ1年くらい頻繁に、メジャーな考え方に対して「再考を促します」と書いてきた手前、希望はあるのですが、どうなんでしょうねぇ、実際……
大前提として、『今』読まれて、かつ、そこそこのインパクトを与えられないと、積もり積もって・・・の「チリ」ひとつにもなれないし、来月や来年(10年100年は論外、そこまで続くものとは信じないから)に効いてくることもないからなぁ……と。


たしか今日で「ネットワークコミュニケーション」を始めてまる13年になるわたしですが。
「13年浴び続けてきたこと」の影響を、いま自問自答して即答できなかったりします。

積み重ねても、
積み重ねても、
「刹那のエンターテイメント」。
……そう、言い切ることもしたくはないのですが。

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2009.12.09

歴史は繰り返される。劣化コピーのように。

そりゃまぁ、個々人の顔ぶれは変わっていようと、「(日本の)ネットユーザー」という意味では同じなんだから、繰り返されるのも当然といえば当然ですけれども。


ミニブログサービス「Amebaなう」が始まりました|スタッフブログ

のコメント欄が「すごいことに」とあちこちで書かれているので見に行ったら……

言っちゃ悪いが、あの程度で?





さかのぼること4年前~3年前、すなわちココログの2~3年目頃は夜毎操作が重くて重くて、どころか管理画面にログインすらできなくて、ときにはブログ閲覧すら難しくなったことがあったのですが。

「ココログレスポンス問題お知らせブログ」と銘打って、ココログ内でも、あるいはtypepad.comを借りて(いま確認したら両方無くなってた)、事情説明していたブログに付いた罵詈雑言のそれはそれはひどかったこと!
上記Amebaの、なんて、いわば劣化コピー。かわいいもんですよ。
いや不幸自慢してどーするの、ってことなんですけど(苦笑)、でも。

だからわたしにとってはある意味懐かしい風景ですらあったのですけれど、観測範囲ではだれも言及していなかったのは、ほかのひとたちにとってはもはや忘れ去られた過去の話だったのか。


しかし、歴史は繰り返されるというか、事業者が変われど、メンツが変われど、何も変わっちゃいない、というか……



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2009.12.03

なんとか…6年…続いた……

昨年がアクセス数的にバブルだったその反動と、観測範囲の話題の波になかなか乗れなくて苦しい思いをひきずった状態で6周年の日を迎えております。


かつてのパソ通、
そしてブログに関連するあれこれ、
あるいは最近だとTwitter、
要するに「ネットワークコミュニケーションとその周辺」について。
もう、自分が考えたことはあらかた書き尽くしてしまったような気がいたします。

あとは──というか今年はもうずっとそんな感じですが──いままでのストックから例えを変えたり表現を変えたりしながら、ただ繰り言をつぶやいてゆく気もいたします。
あの時には伝わらなかった(どころか読まれもしなかった)ことを、
あるいは皆が忘れてしまったかに見えることを、
何度でも何度でも。……いちどきりでは、伝わるわけもないから。

自分へのいいわけ、といえばそうなんですが、でも、
「繰り返し書くこと」は悪いことではないし、よほど(一撃でいっぱい読んでもらえる)アルファなひとでもない限りは、みなさんもそうしたほうがいいですよ、とさえ思います。

関連→ブログ=繰り言2.0(2006.07)

「それ、前にも書いてましたやん」とうんざりされても、あるいはだからこそ"Tristar節"として見てもらえる、こともあるかもしれないですし(^^;;;。


まぁ、そんなこんなで、"外的要因で"止めざるをえなくなるまでは、だらだらと続けて、続いていくんじゃないかな、と思いますので、数少ない読者の皆様には今後とも懲りずにどうぞご愛顧のほどを。


脈絡はないですが今年の"調べてみた"ネタが思いのほかスルーされたので再掲(笑):
【今日のトリビア】カラフルな恋人たち(2009.01)




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