Twitterを解説するのに「ゆるい」という冠をつけてはマズいのではないかと思った件。
みなさん、よくそうおっしゃいますけれど……というか、わたしも前稿でおもいっきり強調表示までしておいてアレなんですけれども。
イヤならリムーブすればいいぢゃないなう - カナかな団首領の自転車置き場:
スイーツ的には、Twitter という居酒屋で、(中略)一人でべらべら喋り続けて、他の友達の話が聞こえなくなっちゃった、(中略)「ちょっと、少しは静かにしててよ。皆、しらけちゃうじゃない」という忠告を、思い切ってリプライするわけ。
そしたら、「イヤならリムーブすればいいぢゃないなう」とか言われるわけ。
挙げ句の果てには、RT されて、はてブされて、言われ放題。
いえいえ、リムーブするなんて出来ません。だって、リムーブされたらイヤだから。自分がされてイヤなことを、他人にしてはイケナイんですよ、がスイーツの鉄則。無断リンク禁止と同じなのね。
うん、分からなくはない。
ということで思ったこと。
Twitterというのは「ゆるいコミュニケーション」なのよ、という表現を読めば、それこそ"スイーツ"的には、
個々のつぶやきの内容も、みんなのやりとりも、流速も、なにもかもが『ほのぼのと、そしてゆったりしている』というニュアンスに受け取るのではないか、と。
だからドバっと来ると「なによ!」ということになるし、
引用先には「もっともっとフォローして流速増やせば薄まるよ」なんて反応があったけどそれはまるで逆方向なのね。
「ほかならぬ自分がフォローした」以上、相手のつぶやきは「ちゃんと読みたい(し、読まれたい)」んだから。
ただ、
ベテランの言う「ゆるい」というのは実はそういう意味ではなくて。
「絆」は「きずな」と読むが「ほだし」とも読み、後者の場合"関係性のしがらみ""束縛するもの"というニュアンスになる、とは
大平 健『やさしさの精神病理』(岩波新書:1995年)
に書いてあったことの受け売りですが、
ベテランがTwitterに「ゆるい」という冠をつけて解説するときにはまさにそういう意味の「ゆるさ」なんでしょうね。束縛の緩さ──それは裏返せば『「きずな」の緩さ』でもある、という。
だから。
ある意味ではいちばん「荒涼とした場所」でもあるんですよね。
何百フォローされていたって、あなたの発したつぶやきは、たとえばブログのエントリなんかよりも、もっともっと「見られもしていない」。
かといってやまほどリプライが来ても困るわけですが(笑)、しかし「反応を期待して」投稿しているのだとすれば、却ってブログよりも"虚空に放つ"感が強くなることはあると思うので。
「場」である以上は「Twitter婚」だって現実に存在するとはいえ、"ゆるい"というよりは"人間関係的にはドライさが推奨される"みたいな冠をつけたほうが『ベテランの説く暗黙の了解』としては正確に伝わるんじゃないかと思った次第。
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