読まれたくて、見られなくて、それでもメゲない、変わり者。
……そうでしょう?
『普通』じゃないですよ、わたしたちは(笑)。
むしろ、普通の一般人のブログが面白いと思います。
普通の人が書くからこそ面白いと思うのです。
そう、俗に言う"一般ピープル"という意味では普通だとしてもね。
身内向けではない、"しらないだれか"に読まれることが前提で、だれかに読まれたくて「ブログする」なんて。
急激に変わりつつあるとはいっても、やはり、そんなわたしたちは、「ちょっと変わったニホンジン」ですよ。
関連→千年前から規格外(2008.10)
さて……
やさしい文体でさらりと(わたしにとって)残酷なことをおっしゃいます。
普通の人の声もちゃんと聞いている人は聞いていて、見ている人は見ています。半分はそう思うけれども、半分は「そんなことはない!」と思うのです。
ブログでもTwitterでも続けていけばいくほど、自分という存在が少しずつ知られていくというのはあります。
続ければ続けるほど、見られるようになる。見てくれる人は見てくれる。そう思います。
アクセス解析は毎日──いや、日に5回は見ているわたしですが。
更新すれば確かにlivedoor reader/google readerと思しきリンク元が現れますから、「見てくれる人は見てくれる」というのはそう思いますしありがたいことではあるのです。
でもね。
「続ければ続けるほど、見られるようになる」というのは、それは、あんまりにも希望的観測に過ぎますよ!・・・と言いたいです。
週間・月間でみたアクセスが増え続けるとか、Twitterでいえばフォローが増え続けるとか、そんなことは、ないですよ。
アクセス解析をつけた6年前を思い出せば、そりゃー増えてはいます。でも、ここ3年くらいでいえばむしろ長期低落傾向なのは、一体どう説明するのでしょう?
関連→「実力が継続を作る」のかも。(2009.10)
Twitterで更新したのをつぶやくというのも有りだと思います。「へぇ、フォローしたこの人はブログ書いてたのか、」と。
ええ、更新後にだいたいtweetしてますが、リンク元に"twitter.com"関連がゼロなことも多々ありますが、なにか?
数日後にだれかにtweetされたらしくてリンク元に現れることならありますが。
読まれたくて、でも現実には見られもしなくて。
個性の実力、ただそれだけが冷厳につきつけられる、そんな世界なんだと思っています。
反応がなくてもそれはそれで仕方ない。めげちゃダメだ、めげちゃ。次また書こう。次またがんばろうと。それでもメゲずに──というかあきらめきれずに(笑)──、次を信じて。
またやっぱり見られもしなくて、それでも、まだ、まだ、……
やはり、変わり者(笑)。『普通』じゃないですよ。
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