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2010.03.17

「伝わらない」ことを実感するために、ネットに挑むのもいいかも。

たとえば組織のなかのコミュニケーションで「なかなか伝わらへんもんやなぁ」と嘆くことはまぁよくある話ではありますけれども、逆に言うと今の今まで「たいてい伝わってきた」実にしあわせな人生を送ってこられたのですかと(笑)。

他人は自分ではないのだから、伝わらないのはあたりまえ。
伝わったかどうか以前に、そもそも"ちゃんと"聞かれたかどうかも怪しいもの。

自分の伝えたいことなんて、伝わらない、ほんとに伝わらない、そのことを身をもって体得するために「ネットコミュニケーションに挑んでみる」のもアリかもしれませんね、というおはなし。
凡百の"コミュニケーション研修"なんかとは、また違う効果があるかもしれませんよ?


たとえばブログを作ってみる、
記録としての「日記」や「お料理レシピ」などではなくて、"反応があることを前提にした"意見とか感想とか、そういうことで。

プロフィールにかかわりそうなことさえ慎重に避けていれば、そんなにリアルに響く危機には陥らない、はず。
「誹謗中傷が来るんじゃないんですか?」
……始める前からそんな心配しなさんな、最初は見られすらしないんだから(苦笑)

伝わらない、
どころか読まれもしない、
それどころか見られすらしない。

(ほとんどは)そんな絶望から始まるものです。
常識も前提も共有しない他人に"伝える"ことがどれほど絶望的に難しいことか。

せいぜい100投げたらなんとか1くらい読まれて、さらに100投げてやっと1くらい伝わるかな、という。
そうかと思えば誤解曲解されたり(自分にとっての)本筋とは別の場所を拾われたり、……


組織のなかのコミュニケーションだとある程度常識も前提も共有しているでしょうから、まぁ10投げて1くらいは伝わるでしょう、そのあとの"伝え方"なんかは研修のロールプレイなどでダメ出し、もとい、フィードバック受けるなりすればよいかと思いますが、

それ以前、伝えようとするために、まず伝わらない経験を積む、そんな目的で。

少し──いやかなり歪なやり方ですのであまりマジメにのめりこむと精神衛生上悪いですから、まぁほどほどで……(^^;;;



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2010.03.07

続・Twitterに勝手な期待をおっ被せる罪

ちょっと、「ツールの限界」いうもんを、冷静に考え直してみたらどない?

リアルタイムでは知らなかったのですがクリックしていったらたどりついたコレをいまさら読んだのですが:

Togetter - まとめ「【3/5再更新】チリ大震災関連のタグの使い方、及びそこから派生したRTの教訓」

議論はわかりました。
けどね。
そもそも『Twitterがそんなシリアスな事柄を扱うように設計されてはいない』ことを(少なくともまとめられた中の)誰も気づいていない、ってどういうこと?ただ書かなかっただけ?

タグの混乱だって"脊髄反射的"RTだっていまに始まったコトじゃなし。
それらを安易にされたら却って混乱する──ましてや善意が発端だけになおタチが悪い──ような、「シリアスかつ急を要する事態」を扱うように設計されたものではないことくらい、ベテランさんなら承知のはずではないのでしょうか?
もとは「他愛もないつぶやき」のために作られたものだということをお忘れですか?

そんな"無邪気な基礎"の上にいくら屋上屋を架したところで混乱を防げるわけもなく、無邪気にもシリアスにも使いづらいシロモノになるだけではないのでしょうか?

以前にも書いたのですが、
Twitterに勝手な期待をおっ被せる罪(2010.01)

要するによってたかってTwitterに勝手に過剰な期待をおっ被せすぎなんですよ。
違いますか?
「ツールの限界」というものを、冷静に考え直してもいいのではないでしょうか?

様式美(笑)なのか脊髄反射なのか叩かれてる
3月6日付 よみうり寸評の:

流言飛語が怖い災害時も使えるか。「綸言(りんげん)汗の如し」。

という部分については聞かなければいけないと思いますが。


なにもTwitterに限らないですよ。
考え直すべきは『オープンなネットコミュニケーションの限界』ということそのもの、で。
いつでも「無制限」で「双方向」なのが最上ですか?
そんな無邪気な話、ないと思いますが。

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