140の幻(Twitterと過ごした2年)
数日前にわたしがTwitterを始めて2周年を迎えまして、昨年同様に雑感を書こうと準備だけしてボツにしたものの別ネタで思い浮かんだのでやはり書いておこうかなと。
ちなみに昨年の→フォローしたのは、他でもない「自分」でしょ?(Twitterで過ごした1年)(2009.04)
あれから1年。
この1年は、ビジネスに政治に使おうという欲の皮がつっぱった人々が目立ったように思います。
ビジネス利用についてはTwitter Inc.自身が歓迎しているようにも見受けられるので言っちゃいけないかなと思って一旦ボツにしたのですが、
(企業)組織であれ個人であれ、
無料サービスの無料アカウントを使っていながら、オノレの稼ぎやそのための情報/人脈漁りにシャカリキになるとは、厚顔・強欲にも程があろう!
とは思っています。
あースッキリした(笑)。
(今後はあまり言わないでおきます、はい。)
さて(こっちが本題)、
以下はあくまで『日本語(でツイートする)ユーザー』に限ったおはなし。
Twitterを紹介する時にはほとんどに「140字(以内)の~」と枕詞がつきますし、(むしろTwitterの外で)「140字制限の苦しさ」みたいなことを書いておられるひとはいますけれども、
ほんとうに「140字制限」ということを意識しているユーザーって、どれくらい居るんだろうね?と。
日本(の教育)で育っていれば、たとえば「140字以内」と書かれていたら、どうにか膨らませてでも最低100字には届いていないと内容以前に0点つけられる、という"暗黙の下限"を各種試験を通じて叩き込まれているはすでして(笑)、ほんとうに意識していれば140制限ぎりぎりのツイートがもうすこし多く見られてもおかしくはないはず、なんですけど……
誰かがデータとっているのかもしれないですけれども、日本語ツイートの文字数の中央値とか最頻値とってみたら、おそらく「100」にも大きく届かない数字が出てくるのではないかと思うんです。
だとすれば140なんてリミットは実質「はるか遠くのもの」であって、"どうでもいい"数字。
そうかと思えば逆に、連投することで数百~千文字クラスの論考をあげるひとも少なくはないわけで、これもまた1ツイートの制限字数なんて別にどうということはない話(のはず)で。
ということでほんとうに「140字以内」ということが何かの『枷』になっているひとなんて、実はほとんど居ないんじゃないかという気がするので、
あんまり「140字(以内)の~」という枕詞で特徴を強調するのはどうなんだろうね?と、
そんなことを考えたのでした。
繰り返しますがあくまで『日本語ツイート』に限った話ですけれども。
……もしかしたら中国語あたりでも同じことが言えるのかも(表意文字だし)。
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