書くのと結果を確かめるのは、セットだからなぁ。
公開の場になにごとかを上げておいて、「上げた時点でゴールなんです、見られたかどうかなんて気にしないんです」というのは、わたしには信じられません。
ましてや、それなりに深刻な・重いことがらを上げたのならば、
『読まれてナンボ』、さらにいえば、
『共感をもって読まれてナンボ』というのがほんとうの気持ちではないでしょうか。
「書いて読まれる場に上げた」というのと、
「その結果を見る」というのは、
セットで1つ、だと思います。
だから、
ekken-不快な思いをしない為の「アクセス解析見ない」はホントにオススメ:
なされた言及が「当事者にとって不快」なものか否か、これを機械的に判定することは困難だろうから、一切の不快を感じたくない場合は、あらゆる言及に対して耳を塞ぐしかない。
(中略)
「望まない言及」を受け入れたくない人の「アクセス解析見ない・エゴサーチしない」 絶大な効果を発揮するので、マジお勧め。
というのは、いささか無理な相談ではないかなと思います。
たしかに「望まない言及」は遮断できるかもしれませんが、
それは同時に「望んだ・期待した言及」を知る手掛かりも失うことを意味します。
それはつまり、おおもとの、「読まれる場に書く」という意味を失うことに直結しませんか?
やっとの思いで公開したんです、「反応に救われる思いをする」ことまでが予定としてセットされている……想像ですが、違いますか?
いいアイディアも何も、
それを望むなら、無制限にオープンな場に上げたら絶対あかん!と、繰り返し、言い続けるよりほかにないと思います。
上げたが最後、
ネタにされるだけだから、
傷が深まるだけだから。
| 固定リンク
コメント