話を上げた、その先に。
求めるものは人それぞれ、といえば終わっちゃいますし、主題として言いたいことは一致している(はず)なので前稿の繰り返しぽくなってしまいますが。
ekken-Re:書くのと結果を確かめるのは、セットだからなぁ。:
"共感をもって読まれてナンボ"という感覚は持ち合わせていませんでした。
自分の書いたものに対して共感の意思表示があるのはもちろん嬉しいのだけど、私としては「共感の確認」は決して主目的にはなっていないのです。どちらかというと自分が気付かなかった視点による異論が読めることのほうが面白いし、同じテーマで続きや別の話を書くことのモチベーションになったりします。
そうなんですか……?
わたしも「それは違うのでは」と書いてみたり、あえて裏側からの視点で書いてみたり、することは多々あるので後半部分はよく分かるのですが……
それにしても、話を続けたその先で、当事者だけでなく周囲含めて、共感というか、こちらに(比較的)理があると思ってもらいたい、と、わたしはそういう気持ちでいますけれども。
……と、わたし自身の気持ちもですけれど、おおもとの言及先であるところの『不快な思いをしない為の「アクセス解析見ない」はホントにオススメ』と同じく"一般論として"、
不快な、あるいは野次・茶々入れの言及やリンクやコメントが!と怒るからには、
書いて上げたその反応に、救いや解決や、せめて癒しを求めていたんでしょうね、
という推測を問いかけてみたのが意図でございまして。
相違点はここまででして、お互いの主題(だと思った)、
読む人を限定しない公開では、反対意見や不快感の持ち主が出てくるのは当然のことだし、(中略)読み手に異論を出すことを禁じることはできません
ということでは一致しているので。
そこでわたしはもう一歩踏み込んで、
(シリアスな)話を上げたその先に、救いや解決を求めてるなら、世界にフルオープン!な場に書いたら絶対あかん、そういう意味で
『ストップ!!真顔案件』と言い続けているんですけどね。
たたかう気が、その覚悟があるならいいんですよ、
「悪いのは奴らだ」、こちらがゲーテッド・コミュニティに退くなんて正義に反する、そういう考え方は当然あるでしょうから。
ただ、その悪意とたたかうことで確実に疲弊はするし、その分それぞれの"本論"の解決は遅れるし、そこから遠ざかってゆきますよ、
それはやっぱり不幸なことじゃないの?と。
あまりにもブログの、あるいはTwitterなんかの存在感が大きくなりすぎて、なにかを書くときの選択肢が狭まりつつあるような気もしますけれども、
なんでもかんでも世界にフルオープン!な場がふさわしいですか、そんなわけないでしょう、ちょっと考え直したらどないですか、と、そういうことを言いたいわけです──繰り返しますが、話を上げたその先に、救いや解決を求めるなら、ですが──。
シリアスな話でも、いわゆる居酒屋談義というか床屋政談というかそういうノリで、話を上げたその先でやいのやいのと沸いてくれたらそれで目的成就、というのなら、それはブログでやればいい、むしろそれこそが無制限にオープンな場でするにふさわしい、そう思いますけれども。
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