とある戦慄
先輩が給料明細を見て「介護保険が引かれてるー!」とショックを受けているのを他人事じゃないと思ったTristarです、こんばんは。
さて、ネットにあふれるヘイトスピーチの定番に『老人批判』というのがございますが。
曰く、
ためこんだ所得をはやく回せだの
口出しせずにすっこんでろだの
老害が社会をダメにした(する)だのと。
リアル日常含めてまぁいろいろ怨嗟があったりするのでしょう、けど……
たまにそんな暴言まがいのあれこれを見ていて思うのは、ですね、
こいつらもしかして、
自分は歳とらへんと思ってんのかとか、
むしろ自分は「老」と呼ばれるまでは生きないと確信してるんとちゃうやろか、と思わせることがあったりなかったり。
そう思うとかなりうすら寒いものを感じたりするんですよね。
しょせん"便所の落書き"、考えなしにノリにあわせてみんなが叩くもん叩いてるだけ、だと信じたいのですけれども、
ネタも連呼してたらいつか自分が本気で蝕まれる・・・ことなきにしもあらずですし、
いまその姿が想像できないのは仕方ないとしても実際何十年か経って自身が「老」呼ばわりされたらもう耐えられへんのとちゃうやろか、と思ってしまうんですよね。
二十年くらい経ったら、今世紀初めの「年三万人」がのどかだった、と思えるほどの…………
考えすぎだと思いたいですが。
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コメント
老にはなるでしょうが、そのときの状況が今の「老」世代の状況とはまったく違う酷さになるからでは?
そしてその責任のほぼ全てが、日本を自称「作ってきた」今の老世代なのですから、怨嗟がこもっていても仕方ないですね。
投稿: あ | 2010.07.13 23:49
>ネタも連呼してたらいつか自分が本気で蝕まれる・・・ことなきにしもあらずですし
というより、これは、そうなっていきますよね。言葉を選ぶ、文を書くということは、たとえキーボードぱちぱちでも、肉体を動かしている。肉体性は精神につながっていますから。
「老害」という言葉もどうなのかと思うけれど、ただ、
○電車は降りる人が先なのに とか
○座席へ猪突猛進するのに人をどかす とか
こういうのを日々見せつけられると、「何十年も生きて培った『知』はどこへ?」と思って、こうしてキーボードぱちぱちなわけです。
投稿: タフになれたらいいのにな | 2010.09.25 12:09