議論なら、Twitterより2ちゃんねるより、人の来ない場所で。
ほんとうに議論がしたいのであれば、
真顔の議論を経てマジメな結果を出したい案件ならば。
そういう意味では常々ご提案申し上げている通りゲーテッド・コミュニティが最強ですが、たとえ世間に開かれていても実際には"通りすがり"に見つかることのない、そこら凡百の掲示板でも。
議論するならTwitterより2ちゃんねるのほうが向いている - A Successful Failure
を読んで。
上記では「場のつくり」が議論の成り立ちやすさに影響する、という論理で話をされています。
読んでみれば確かになるほどなぁ、と思うところはあるのですが、それよりも私が思うのは。
人の集まりやすさが議論の邪魔をするのではないかなぁ、と。
……まぁ、いつもの繰り言ですけれども。
虎は死して皮を留め、夢は死して大喜利を残す。(2010.06)
何度か書きましたけれども、(真顔の)議論を続けよう、と思うなら、メンバーの意識レベルを一定に揃え続けていないと成り立ちません。「志を同じくする」というか。
二人や三人では発想の広がりに欠けるでしょうが、さりとて二十人三十人となれば話が発散してしまうでしょうし、なにより意識レベルを合わせることが難しいでしょう。
ましてやTwitterやら2ちゃんねるやら、文字通り『世界にフルオープン!』、やまほどアクセスされ、かつ誰でも参加可能な場で「議論」なんて成り立つはずがないでしょう。
だって圧倒的多数は、真顔の話がしたくてネットコミュニケーションに参加するわけじゃないんですよ?
議論をしたいのなら、「志を同じくする」少人数で閉じないと成り立たない、少なくともあまりにも"効率"が悪すぎる、と思うのです。
だから、「場のつくり」の問題ではなくて。
Twitterでもフォロー/フォロワーを極端に絞れば、
2ちゃんねるならいわゆる過疎板であればあるほど、
議論を続けることはそれほど難しくはなかろうと思うのです。
で、幸いにして結論らしきものが産み出されたとして、……
議論によって生み出された貴重な成果を広く共有するために
とは仰いますが、議論の当事者たちがその最中から、後に(まとめられて)共有知になるんだ!なんて、ボランティア精神あふれる──あるいは自分でまとめる場合、自意識過剰?な──方々って、そんなに居られるものなんですか?
仮にそうだとしても、「結論だけ」広く公開されれば満足でしょう、
なにも「過程を」「リアルタイムで」オープンにすることはありますまい。
だからいづれにせよ議論は目立たないところでこそこそ(^^;;;すればいい。
……というように、なんでもかんでも、名実ともに『世界にフルオープン!』なところでしなくてもいいんじゃないの?という考え方を提案してみるのでした。
そして、人の集まる場では娯楽に徹するべきだ、ということも。
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