知ってほしいのは、「人」よりも「アウトプット」。
言及先をざっと読んだところ「業務系」というか比較的「名前を売る」派に見えたのであえてトラックバックしませんが、少々異見など。
ブログを始めようかなと考えたときに、まず次の質問を考えてみて下さい。
「自分のことを他人に知ってもらいたいのだろうか」
エーッ!
パソ通の昔からかれこれ十数年、前世紀からずっと、
『匿"顔"性』『(リアルの)属性のしがらみからの自由』こそがネットコミュニケーション最大の存在理由だと思い続けてきたわたしには、ちょっと頷くのは難しい問いですね。
「あなたは"どんな人"なんですか」というのは、あまり興味を持ちたくも持たれたくもない領域だったりします。
ブログだけならまだしもTwitter時代になって、そういうことから目を背け続けるのは非常に難しくなっていますし、他人の日常を読んでほのぼのした気分になることも無いわけではないのですが。
で、二つ目、
「自分の何を他人に知ってもらいたいのか」
確かに「自分の考えたこと」は知ってもらいたくて、読まれたくて、そして出来るなら考え直すきっかけにしてほしくて"ブログする"わけですけれども、
知ってもらいたいのは「考えた結論」というアウトプット(ただし途中の経緯は含む)であって、「○○という(結論に至った)思考回路をもつ自分」ではないのです・・・うまく表現できませんが。
わたしの好むネット論にしろ、
あるいはゲーム日記にしろ、
スポーツ観戦記にしろ、
政治評論にしろ、
それらの"まとめ"を提供するにしろ、etc,etc...
知ってほしい、読んでほしいのはその「思った・考えたこと」の部分だ、というのは同じではないかと思うのですが……
わたしだってこれだけ続けていればそりゃぁ「いつもの思考回路」を意識して書くことはありますし、幸いそれを「Tristar節」と認知してくださっている方も居られますけれども、あくまで知って(好ましくは考えて)ほしいのは「結論」の部分であって、「Tristarというキャラ」ではないんですけど、ねぇ……
そうではなくて、『「中の人」である自分』をアピールしたいものなんですか?>みなさま
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コメント
知ってほしい自分=自分の興味=「自分の何(を知ってほしいか)」で、「ブログの中心と自分の興味の中心」を一致させたほうが続けやすいよ、というのが言及先の記事に対する私の理解でした。興味ある対象について自分の意見や感覚を語る、というのは「中の人」の「名前を売る」スタンスとも違うかな、と思います。そんなにお二方が違うことをいってるように感じなかったもので・・・。
投稿: sbr | 2010.08.09 01:50
『「ブログの中心と自分の興味の中心」を一致』というのには異論はないのですが、・・・
終段書いていて気づいたのですが、ブログ──に限らずソーシャルメディア──でやいのやいのとするのが「手段」なのか「目的」なのか、の違いなのかもしれません。
「手段」であればそりゃぁ本来の目的のために「自分という人間を」知ってほしい、という発想になるのはある意味自然かもしれないですね。
わたし(たち)はそうじゃないから。
こうしてコミュニケーションすることそのものが目的だから。
ましてや(オフってどうこう、ということも考えず)「画面を通じたおつきあい」に留めよう、という感情で十余年続けてきていますから。
「中の人」への興味関心というのは、どちらかといえば避けて歩きたい事柄なのです。
わたしはその「純粋さ」を誇りたいですが、
かれらから見れば「手段の目的化」だと嗤うよりほかないのかもしれません。
そのあたりの相容れなさはたぶん消えないだろうし、ときたま出会い頭に衝突しておたがい気分を悪くする"事故"も起こり続けるんだろう、と思います(だから今回トラバ送るのは控えたのですが)。
投稿: Tristar@管理人 | 2010.08.09 21:23