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2010.11.27

ライフログの「価値」

ブログのずっと以前から、「どこ行った」「なに食べた」という記録は、個人ページのポピュラーなコンテンツであり続けました。『日記』であり"log"であるのだから、当然と言えば当然ですが。

時が進み、たとえばTwitterなどで、
ここに居る」「これ食べてる」と、
よってたかってリアルタイムに投稿するようになりました。GPSで取得した位置情報とともに。

これは集めるとビジネスになります。統計的処理を施して、あるいはプロフィールと紐づけて。

あなたが(嬉々として)投稿したライフログは、だれかの飯の種になっています。

べつにそのことを責めたくて書いているわけではありません。
ユーザーに(直接)課金しないでサービスを成り立たせているのです、維持発展のためにはどこかで稼がないといけませんから。

ただ、ちゃんと、
あなたのライフログを差し出したことに見合うだけの見返りを受けていますか?

以前書きましたけれど:
そういえば(流通系)ポイントカードのこと(2009.05)
「日々の買い物履歴を差し出す」見返りが「1%かそこらの割引率」で妥当ですかどうですか、というのと同じで。

逆に、無料でサービスを使わせていただいている「対価」として、意識的にライフログをデータとして提供していたりするのでしょうか……


……みんな、もうすこし勿体ぶる、というか、見返りの要求値を吊り上げてもいいような気がしたものですから。


ライフログの類をほとんど書かないわたしのようなユーザーは、いっぱいデータを差し出すことで回りまわってサービスの維持に寄与しているユーザーさんに、感謝しないといけないのかもしれませんけれど。

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2010.11.25

リアルとバーチャルの距離は、離れてゆくかもしれないですね。

そして、「画面の向こうの知らないだれか」というイメージが、どんどん悪くなってゆくかも。


なんか、
蔓延する誤った「ソーシャルメディア」の定義【水谷翔】 : TechWaveから始まったのですか、
「リアル起点」と「ネット起点」(の人間関係)は、あくまで別のものだ、いや、融合してゆくんだ、とかいう話。


a.リアル知人の皆がネットへの「関心」や「適性」が高いはずもなく、知人の知人の…という広がりはかなり限定的だと思う
b.お仕事が絡むか、または、ニッチな趣味でもなければ、ネット起点の関係がリアルに"降りてくる"のはなかなか難しいと思う
c.デジタルネイティブなんていいますが、いまの「下の世代」にとって、そもそも『「ネット起点」のつながり』というものへのイメージってどうなんだろうね?

……ということで、リアルとネット、あるいは、ソーシャルとバーチャル、の壁は意外に堅くて、その距離は遠いままなのではないかなと思います。


a.リアルからネットへ
これは世代がどう、ということではなくて。
業務上の検索だのメールだのは別にして、50代60代でもネットでバリバリやるひとも居れば、20代30代でもまるっきり興味も関心もないひとも山と居るわけで。
(関心のない)知人をソーシャルネットに引き込めますか?楽しませられますか?
この時点で「リアルとネットの壁」は堅く存在し続けるわけです。まさかネット適性の高いひと以外とは縁を切るわけでもありますまい(笑)。
ましてや知人の知人がネット上で広がって……というのは、ちょっと夢見すぎではないかと。

仕事だの人脈だので必要という話なら(可能性は)別ですが、常々書いている通り、圧倒的多数はそんなこと考えてネットコミュニケーションしていないことにご注意頂きたく。


b.ネットからリアルへ
……どころか、ある特定の何か(話題とかゲームとか)で仲良くなった関係が、別の何かでも続く、それすら現実には難しくないですか?経験上。

おもろうてやがて哀しきネットの縁(2006.08)

確かに「オフでも仲良し」もあり得ることですが、そこにたどり着く可能性は意外に低いのではないかなと思います。

仕事だの人脈だのという話なら(可能性は)別ですが、(以下同文)。


c.画面の向こうの知らないだれか
リアル知人を頼れなかった「上の世代」は、コンピュータ、そしてネットに関することといえば、ネットで「画面の向こうの知らないだれか」に頼ることに抵抗もなかったですし、それがコミュニケーションのきっかけでもあったわけですから、(リアル知人でない)知らないだれかとのやりとりこそがネットだ、と考えたりもするのですが、

30分もレスがないと不安でどうしようもなくなる程度にリアル友人知人とのケータイメールに文字通り忙殺されている「下の世代」にとって、"外の世界"に関心が、そして目を向ける必要が、余裕が、あるのかどうか。
ましてやソーシャルネットに比重が移り、ブログ(的なもの)が衰退の一途をたどっていく中で、「知らないだれか」に言及する・される、ということの経験の場が狭くなりつつある中で。

そう考えると、もちろん今でも誤解は多いですが、「画面の向こうの知らないだれか」イコール「性風俗的な何か」という悪いイメージが、もっと固定化されてゆくんじゃないかなという不安があったりもします。


それに、
融合して、ワンストップでなんでも、ということの良し悪しをもっと冷静に考えてほしいですし、
(無料で)サービスを使わせてあげるよ、その代わり(プロフィールに紐づけられた)生活の一挙手一投足を記録してね、データとして商売させてもらうから、というのも抵抗があるんですけどね。

「お互いに無関係な世界」を、あっちこっち飛び歩いて生きるのもいいかもしれません。

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2010.11.03

「目的意識」だとか、「志」だとか。

なまじっかそんなもの持つより、ただリンクをクリッククリックしていたほうが、「多様な価値観に触れる可能性」は大きいかもしれませんね。
誰が言ったか"半径ワンクリック"を行きつ戻りつの世界に安住してしまった、わたし(たち)よりも。


日本ではウェブ利用が無目的な人が多いんじゃないか? - novtan別館:

暇つぶしってかね。

……それの何が悪い?と考えるわたしです。

→関連:
「バカやって楽しむ」ことを引き受ける場、という考え方。(2009.05)
『生存。社会化。娯楽。これが進歩だ。』(2009.06)

そもそもが(プライベートで)画面に向かうことはあくまで「余暇の範囲」なんだと思うんですよ、(日本の)圧倒的多数にとっては。
ただリンクをクリッククリックして「多様な価値観に触れ」たことでもし自分のなにかが変化したとしても、それはあくまで「従」であって、そのためにネットしてるわけじゃない、くらい徹底的に。


(ログイン前の)Twitterのホームにある:

『世の中の「今」を知る最高の方法です』
それ、知ってどうするんですか?
それを自分の糧にして動こう、とかいう"志の高い"ひとが、いったいどれほど居ると?

理念というか意気込みはわかるのですが、あまりにも夢見すぎなんじゃないかなと思う毎日です。


前稿コメントに自分で書いておいてアレですが、じゃぁホントに諸外国は目的意識や志が高いのでしょうか。

日本ではウェブ利用が無目的な人が多いんじゃないか? - novtan別館:

日本ってもしかしてそれだけインターネットが普及している、ってことじゃないのかな?

これは同意するところがあって、たぶんネットに向かう時のマジメさは、その人が属する組織や地域のネット普及率と回線速度に反比例するんじゃないかと勝手に思っていたりしますけれども。
日本の「定額廉価で、高速で」というのは世界有数なんだそうですし。


……ということは、「あまねく人々にインターネットが普及した未来」には・・・?

北欧のどこかでブロードバンド接続を「国民の権利」として謳いあげた国があるそうですが、そういう意味で見ものになるかな、とか思っていたりします。



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