リアルとバーチャルの距離は、離れてゆくかもしれないですね。
そして、「画面の向こうの知らないだれか」というイメージが、どんどん悪くなってゆくかも。
なんか、
蔓延する誤った「ソーシャルメディア」の定義【水谷翔】 : TechWaveから始まったのですか、
「リアル起点」と「ネット起点」(の人間関係)は、あくまで別のものだ、いや、融合してゆくんだ、とかいう話。
a.リアル知人の皆がネットへの「関心」や「適性」が高いはずもなく、知人の知人の…という広がりはかなり限定的だと思う
b.お仕事が絡むか、または、ニッチな趣味でもなければ、ネット起点の関係がリアルに"降りてくる"のはなかなか難しいと思う
c.デジタルネイティブなんていいますが、いまの「下の世代」にとって、そもそも『「ネット起点」のつながり』というものへのイメージってどうなんだろうね?
……ということで、リアルとネット、あるいは、ソーシャルとバーチャル、の壁は意外に堅くて、その距離は遠いままなのではないかなと思います。
a.リアルからネットへ
これは世代がどう、ということではなくて。
業務上の検索だのメールだのは別にして、50代60代でもネットでバリバリやるひとも居れば、20代30代でもまるっきり興味も関心もないひとも山と居るわけで。
(関心のない)知人をソーシャルネットに引き込めますか?楽しませられますか?
この時点で「リアルとネットの壁」は堅く存在し続けるわけです。まさかネット適性の高いひと以外とは縁を切るわけでもありますまい(笑)。
ましてや知人の知人がネット上で広がって……というのは、ちょっと夢見すぎではないかと。
仕事だの人脈だので必要という話なら(可能性は)別ですが、常々書いている通り、圧倒的多数はそんなこと考えてネットコミュニケーションしていないことにご注意頂きたく。
b.ネットからリアルへ
……どころか、ある特定の何か(話題とかゲームとか)で仲良くなった関係が、別の何かでも続く、それすら現実には難しくないですか?経験上。
おもろうてやがて哀しきネットの縁(2006.08)
確かに「オフでも仲良し」もあり得ることですが、そこにたどり着く可能性は意外に低いのではないかなと思います。
仕事だの人脈だのという話なら(可能性は)別ですが、(以下同文)。
c.画面の向こうの知らないだれか
リアル知人を頼れなかった「上の世代」は、コンピュータ、そしてネットに関することといえば、ネットで「画面の向こうの知らないだれか」に頼ることに抵抗もなかったですし、それがコミュニケーションのきっかけでもあったわけですから、(リアル知人でない)知らないだれかとのやりとりこそがネットだ、と考えたりもするのですが、
30分もレスがないと不安でどうしようもなくなる程度にリアル友人知人とのケータイメールに文字通り忙殺されている「下の世代」にとって、"外の世界"に関心が、そして目を向ける必要が、余裕が、あるのかどうか。
ましてやソーシャルネットに比重が移り、ブログ(的なもの)が衰退の一途をたどっていく中で、「知らないだれか」に言及する・される、ということの経験の場が狭くなりつつある中で。
そう考えると、もちろん今でも誤解は多いですが、「画面の向こうの知らないだれか」イコール「性風俗的な何か」という悪いイメージが、もっと固定化されてゆくんじゃないかなという不安があったりもします。
それに、
融合して、ワンストップでなんでも、ということの良し悪しをもっと冷静に考えてほしいですし、
(無料で)サービスを使わせてあげるよ、その代わり(プロフィールに紐づけられた)生活の一挙手一投足を記録してね、データとして商売させてもらうから、というのも抵抗があるんですけどね。
「お互いに無関係な世界」を、あっちこっち飛び歩いて生きるのもいいかもしれません。
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