「みんなでワイワイ」やろうよ、「ネットワーク」なんだから。
しらない──正確には、いままで知らなかった──誰かと、「みんなで話をする」ことを目指そうよ、と思うのです。
ソーシャル何とかと総称するんですか、ましてや実名規準で「リアルのつながりをそのまま持ち込むことが起点」になるような方向へ進みつつあるようですが……
ついこの間までお互いフォロー関係も接点もなかった筈のフォロワーさん同士が、ふと気がつくと会話のやり取りをしている。ついこの間まで全然かけ離れた趣味同士だった筈の人が、ふと気がつくと冗談を言いあっている。
(中略)
ソーシャルメディアは割りとなんでもそうなのだろう。趣味なり、誰かが話している話題なり、なんか色んな人と仲よさそうな人を軸に、知らない人同士がなんとなく繋がる。
(中略)
ただ、これだけお手軽でこれだけ大規模な「網型人間関係形成インフラ」が、現在まさに眼前で動いていること。かつて自分は苦手だなーと思っていたことが、今Webのインフラであっさりと実現していること。
終わったものに縋っても詮無いとは知りつつも、やはりパソコン通信の昔から見れば『網型人間関係形成インフラ』としては「退化したなぁ」と思わずにはいられません。
主人と読者で|読者同士で|みんなで(2006.04)から流用するのですが、
しんざきさん言うところの『星型』とはこんな感じでしょうか、元がブログについての話なのでそこはSNSの自分のページとかTwitterの自分のTLとか置き換えていただいて。
ここまでコメントやら@が飛び交えば御の字・十分に幸せだと思うのですが、まぁそれはともかく。
で、
たとえばTwitterの自分のTLがこういう状態になってゆくのを見て衝撃的だったと。
わかるのですが、でも、どうしても。
「自分が管理者として俯瞰する図」になってしまって、どうも自分だけが別の位置にあるようで「網」に入りきれない感じが抜けない、というか……
ほんとうの(と言うのはたぶんすごく失礼なんですけど)『網型』というのは、
心理的にはもちろん表示的な面でも"対等な立場"で輪の中でワイワイやる、ということではないかなと思うのです。
それが自然に出来たパソコン通信のシステムはやはり秀逸であったなぁ、というのと、
いまのブログなりSNSなりTwitterなりでは2番目のが限界ですよねぇ、というのと。
「ネットワーク」コミュニケーションなんだから、字義通りの「網」のコミュニケーションで、しかも、しらない──正確には、いままで知らなかった──誰かとワイワイといつまでもやっていきたいんですけどねぇ……という、いろいろ現状の進む方向を見るにつけ最後はため息になってしまうのですが(苦笑)。
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