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2011.03.17

つまり、『普段から』真顔で向き合うてたらアカン、そういうこと。

普段役に立つからと頼り切ってたら、「非常時には冷静に」なんてムリやん?
余計ベッタリになるだけやし。

注意したいのは、Twitterだから、という話ではないということ(なんでも拡散しやすい(してしまいやすい)という側面はあるにせよ)。
他のソーシャル何とかならいいのか、ブログなら、SNSならいいのか、というと、そんなことはないはずで。

つまり、普段から、「個人が個人の資格で無制限に発信しているなにか」に真顔で向き合うべきではない、ということに尽きるんじゃないですか。


大災害時のTwitterは役に立たない:

情報量は多いかもしれないが、ノイズの量も半端じゃない。危機が迫るときに、本当に必要な情報を選別するコストは馬鹿にならないと思う。
(中略)
「Twitterを見ている人の数」に等しいだけのTLが存在するので、正確な情報を得る事が困難だ。一緒に行動している人がそれぞれ異なる情報を持っているのは混乱の元だ。
(中略)
遠くから見ている人にとっては、リアルタイムで流れてくる大災害の様子を知る事の出来る便利ツールかもしれないが、今まさに命に関わる危機が押し迫っている被災地の人にとって、Twitterはほとんど役に立たないものだと思う。

ですねぇ、というか、なんでそんなに役立たせようとしますかね、というのは何度も書いたけど。

代表→続・Twitterに勝手な期待をおっ被せる罪(2010.03)

ただ、冒頭書いた通りで、普段それなしでは考えられないほどに(リアルへの/からのフィードバックとして)頼っていたら、そりゃー、非常時には真っ先に飛びつくでしょう。

そして、これも繰り返しですが、Twitterだけの話じゃなくて。
いわゆるアルファブロガーといわれるひとたちの書くジャンルに多いですが、したり顔(失礼)で時事問題を"独自の視点で"分析・解説してみせる、というやつ。

普段そういうのに頼ってるから、イザという時に(そういうのはたいてい公式発表と違うこと書くから)右往左往することになる。だけじゃなくて、RTなんかで周囲も混乱に陥れたり。
そこに隠蔽だ捏造だ陰謀論だと解説が加わると、もう目も当てられない。

情報はすべて受け取った方の自己責任、という文化じゃないんだから。日本は。


コンピュータとネットワーク、そして、
その中で行われるコミュニケーションそれ自身のことについて。
これらについては「ここでしか」真顔で話ができる場がないとしても、
それ以外の、リアルの世事は。

アルファなひとのエントリもツイートも普段から読み物として「消費」するに止めておきましょうね、
ましてや非常時には官署や公共(の性格を持った)組織のドメインのみを情報源としましょうね、アルファなひとは率先して口を噤みましょうね(それができなければ公共のドメインへのリンクを提示するのみにしましょうね)、というのが、少なくとも日本の、日本文化のもとで求められる行為だと思うのです。


"個人メディア"なんかに、頼ったらあかん。
少なくとも、頼り切ったらあかん。


万人が『娯楽』と認める、その日まで。(2010.04)


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