目の前にある、「2つの」インターネット。
まぁ、その絶望は正しいかもしれないですね。
僕は"自由"で"オープン"なwebと上手に付き合えているのだろうか - 教えてお星様:
あまりにも付き合うのにコストのかかる人と論争をしても、本当に心底得るものなんてないんです。たとえ言い負かしても、何の得にもならない。つまり、勝っても負けても損をする戦争はしたくないんです。
いまでもわりとよく見る話ですが、(図らずも)人気エントリになってしまって、となるといろんな"分かってない"コメントが来ちゃうわけです。
それらにTwitter辺りでグチってるのを見たりするとですね、『あなたに足りないのは「"オープン"で"フラット"なWebに対する絶望」だ』なんて画面に向かってひとりツッコんでいたるするわけですけれども。
関連→やっぱり「敷居」は必要でした、というおはなし。(2011.05)
「インプットとしてのインターネット」
「アウトプットとしてのインターネット」
あなたがたの目の前にある、この「2つの」インターネット。
……とくに後者に対して、過大な期待を抱いちゃいませんか?
「インプットとしてのインターネット」は、確かに役に立ちます。
検索はもちろん、天気予報、交通情報、ショッピング、etc...
そりゃー役に立ちますよ。
だって、"社会に資する"意志のもとに作られたコンテンツなんだから。
かならずしも動機が善とは限らなくても、結果が伴っていなくても。
もちろんジャンル、あるいは単語の選び方によって例外はあるでしょうが、
たいていの場合、検索上位に来るのは、そういった「役立つことを願ってつくられた」ページじゃないですか。
「アウトプットとしてのインターネット」はどうでしょうか。
もともと"そこらの個人が個人の資格で"書くことを出自とした、ブログやらTwitterやら、"総表現者"としてのツール/サービス群は。
……みなさん、他人に、いわんや社会に役立て!といちいち思いながらキーボード叩いてますか?
仮にあなたはそんな「高貴な志」をお持ちだとしても、
おなじ"表現者"としての周りの圧倒的多数が、何を考えてキーボードの、あるいはケータイのテンキーの、あるいはタッチパネルの上で指を滑らせているのか、分からないはずはないでしょう!
そりゃー(少なくとも全体としては)バカで暇な部分の発露になりますよ(←「バカと暇人」ではないことに注意!)。
いまでもまれに見ますね、そういう「アウトプットとしてのインターネット」を指して、無駄だノイズだゴミだというひと。
……当然じゃないですか(笑)。
そもそも"社会に資する"なんて意志で書かれたものがどれだけあると思ってるんですか???
過剰な期待を、希望を持ってはいませんか?
そういう評価軸で見ること自体がおかしいんですよ。
いつも「真顔の議論」と表現していますが、シリアスな話をちゃんとしたけりゃ、それぞれの"ゲーテッド・コミュニティ"に行くがいい。
そう、私なんかよりはるかに声の大きいひとが、うまく伝えられるひとが書いてくれれば、こんななかなか伝わらない繰り言書かずに済むんですけど、ねぇ。
……万人が『娯楽』と認める、その日まで。
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