炎上で (築|気付)く栄華の 極みかな
ネットの華、とはよくいったものです。
炎上などという言葉のなかったパソコン通信の昔、ネットバトルというのは大抵、(こじれた後の)個人攻撃の応酬でありました。
バトルがあれば当然バトルウォッチというのもありましてですね、...
時は進み、ブログ時代になってからも、「炎上」というのはやはり「他者への攻撃」が主であったように思います。相手が社会(現象)であれ、個人であれ。
そういう、いわば「由緒正しい」バトルあるいは炎上って、ほんと(2ちゃんねるやソーシャルブックマークによって拡散されるような)大きな話題にならなくなりましたねぇ、と。
いま、mixi(の日記)やTwitterで「炎上」するのは、大抵が"自爆"であります。犯罪自慢のような。
他者とのコミュニケーションなしで燃え上がってしまう、この移り変わりを改めて振り返ってみると、なかなか感慨深いものがあります。
そして。
振り返ってみますと、炎上が頻発する、そのあたりがそれぞれの『栄華の極み』だったのではないか、という気がいたします。
パソ通、ブログ、mixi(の日記)、そしてTwitter...
現象は個々(のアカウント)であっても、燃えたり爆発したりというのは、なんというか、場へのダメージにもなっているのでしょうか……
過去の"事件簿"が顧みられることもなく、変化のスピードばかりが速くなるこの世界のこと、たぶんこれからも「炎上」は起こり続けるでしょう。
次はどこが...。
平和は続かず、栄華もまた続かず。
諸行無常……
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