ネットでも 義理人情に 絆(ほだ)されて
『絆』は「きずな」と読むと同時に「ほだし」とも読み、その場合束縛というようなネガティブなニュアンスに転化する、とは
大平 健:『やさしさの精神病理』(岩波新書:1995年)
で知った知識ですが。
相当な頻度で「Twitter 全部読む」だか「~見る」だか、ともかくそういった検索フレーズでこのブログに来訪される方がいらっしゃるようで、たぶん
Twitterのタイムライン、全部読むことを前提にすると、叩かれるらしい。(2010.08)
がヒットしたものだと思うのですけれども(たしかにググったら3番目くらいに出てきた)、
ということは、『タイムラインは全部読むものか否か』でお悩みの方は相当数いらっしゃるのではないかと思料するところで。
全部は読めなくなると悩む程度までにフォローしたのはほかならぬ"あなた自身"なんでしょう、検索してないであなたがお決めなさいよ(苦笑)、と思う一方で、
ほかならぬ自分自身が(読みたくて)フォローしただけに、(それが純粋な個人アカウントであれば)"読まない"のも"気軽にフォロー解除する"のもいまひとつ気が引ける、という、いささかクラシックに思える日本的心性──それは、インターネットのイメージとはかけ離れたものでもあるのだけど──も、個人的にはよく理解できる感情であって。
ネットでも義理人情に絆(ほだ)されて。
まぁ場がどこであれ「人」は「人」なんだから当然、なのかもしれないですけれども。
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