雑談が消え、コミュニケーションが消えた。
かつてのパソコン通信ではたいていどこでも、一番にぎわっていたのは「フリートーク」の会議室でした。
そのフォーラムのテーマとは関係ないことを話す場、すなわち"雑談部屋"。
今いずこ。
移りゆく「インターネットの一番の問題点」 - 琥珀色の戯言:
僕がネットをはじめた10年前くらいには、弱音を吐くと、共感してくれたり、励ましてくれたりする人が多かった。
ところが、今は、「弱音を吐いた人や、ちょっとおかしなことを言った人」は、容赦なくバッシングされる。
「共感」どころか、「隙をみせずに発言する」ことが要求される。
「隙を見つけたら、とことん引きずり下ろそうとする」人たちがたくさんいるから。
(中略)
10年前は、現実が戦場で、ネットは野戦病院だった。
でも、いまは、ネットこそがもっとも油断のならない戦場になっている。
現実も、相変わらず戦場のままなのだけれども。
この"空気"、すごくわかります。
単純に「しんどい」「疲れた」とは書けない"なにか"を感じるんですね。
「でも頑張らないと」と付け加えないと許されない、ような。
外資系コンサルや金融の特徴としてよくいわれるところの「Up or Out」を連想します。
昇進か、さもなくばクビか。
ネットが、そこで発信する個々人までもが、強烈な上昇志向に憑りつかれているように感じるんですね。
理由は存じませんが、もしこの見立てが当たっているとするなら、巷にあふれる"日本没落論"は、一笑に付していいのかもしれませんが。
それはそれとして。
そもそも、いまの大多数のひとって、ネットに"雑談"を求めているのでしょうか?
それどころか、コミュニケーションさえ。
Twitterだって、「(双方向の)つながり」を目的としているひと、けっこう希少なのではないですか?
3桁後半も4桁もフォローしていて、「やりとり」がそう簡単に成立するはずがないし、だとすると、別の目的、それこそ上昇志向にもとづく情報収集など、に使っていると見た方がいいわけで。
……理由を考えてみました:
- かつてわたしたちは、ネットに居場所を求めに来た。
- だから雑談が成り立ったし、コミュニケーションが主目的になりえた。
- 時代が下り、"一般人"──若年層・そしてリア充──が大量に入ってきた。
- かれらにとって当たり障りのない雑談は「友達と」「リアルで」(ケータイメールで)するものであって、
- ネットはネタ集め、情報収集、そして誰憚ることなく他者を斬りつけるためのもの。
いかがでしょうか。
昔から人脈作りに躍起なひとは居ましたし、今わたしのTLにはリアルご近所さんと「改変しまくりの非公式RT」を駆使してキャッキャしているひとも居ますけれども、
全体として雑談が消え、コミュニケーションさえもが消えていった理由としてつじつまは合うように思いますが。
この先この国がどうなっても、この流れはもう止まらないのかもしれません。
庶民が個人の立場でアウトプットすることなんて、結局たいしたことなんてないのにね。
ああ。
わたしは「読む落語」のようなものをネットに求めているのかもしれない。(2008.11)
でも、「雑談をできる相手」を探すのは、ほんとうに難しいですよ。
リアル近所と違って、育ちも、常識も、まるでちがうわけですから・・・
テーマを定めずに、それでも話が合う、というのはものすごい奇跡だと。
だからこそ見つかれば"安住の地"になり、そして、
外野からは"常連のたまり場"と非難されもするわけですけれども(笑)。
私の居場所はどこですか(2007.08)
わたしはまだ、探しています。
……いや、"探して"はいないかもしれません、
ガツガツ探しに行くものじゃなく、「気がつけばそこだった」という性質のものだと思うから・・・
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