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2012.03.23

「フツーの人」ほど、自分を高く売るべきだ。

「自分を曝け出す」ということを、もっと経済行為としてとらえたらいいのに。

横文字でいうところのライフログというのですか、位置情報サービスも花盛りですし、みなさん嬉々として投稿していらっしゃいますけれども。

どこに行って(いま居て)、何をして(誰と会って)、何を食べて(どんな食生活・好みか)。

ネットを通じて稼ぐためにソーシャルメディアを使っているひとにとってみれば、そうやっていちいち投稿することは自身の市場価値を高めるための『手段』あるいは『投資』であって、なにもそれそのものに対する見返りなどなくてもいいのでしょうが、

圧倒的多数にとってはそうではないでしょう?

たとえばTwitterを使う(使い続ける)ことがひとつの『目的』であって、その先には特になにもないはず……と書いたら怒られるかもしれませんが(苦笑)。

どっちにしたって「フツーの人」の、どこ行って、何食べて、という行動履歴は、集めて分析することでたぶんものすごいカネになっているはずなのですから。

「自分を曝け出す」ことが手段や投資ではないからには、個人情報に紐づけたGPS座標付き行動履歴なんてものは、もっとちゃんとした「見返り」をもらえるまで、もったいぶって、レートを吊り上げるべきじゃないかと思うんですよ。
「mayorの称号」とか「○△×シール」に満足している場合じゃなくて。


……つきつめていくと「安易に行動記録をアウトプットするべきじゃない」という話になるのですが、それはまた別の意味も持ってくるものでありますし、いずれ別の機会に。

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2012.03.14

「ネットの中の」あなたが見る、「ネットの中の」私。

それで、いいじゃない、と思います。
その脆さ儚さにさみしくなるときはあるけれど。

読者が見える人、読者に見える人: 304 Not Modified:

読まれる人に対して自分がどのように見えているかを考える人は少ない。

それがプロフィール的なことを指すのであれば、15年あまりずっと、
「謎」でありたいと思い続けてきました。

ただ、画面に映る文字のみで。(2004.04)
白紙のプロフィール-唯一、読み手に強制できること(2006.01)
このブログは、「ネットの私」です。(2008.05)

ネタ切れで軸がぶれたこともあり、もしほんとうに長期の読者がいらっしゃるのであれば、相当詳しく「プロファイリング」されているだろう、とは思っていますが(苦笑)。


『画面の向こうに人がいる』のは当然忘れてはいけないことですけれども、
言い方を変えれば、大原則は『画面を通じたおつきあい』だ、ということでもあって。

それはたしかにすごく脆くて儚いものではあるけれど、
それで、いいじゃない、と思います。

どういう人なんだろう、と思いを募らせて深入りしていくのは、いろいろと……

オフは、慎重に。(2008.12)


読者に見える人になれとは言わないが、読者は文章を通して、だんだんとブロガー自身を見えるようになっていると思う。
自分を見せる、というのが、
ブログでも稼ごう、あるいはブログで稼ごう、というひとが「自分の(ブロガーとしての)市場価値をアピールする」というように、
ブロガー自身を見る、というのが、
ブログでも稼ごう、あるいはブログで稼ごう、というひとが「こいつは自分のビジネスに有用か?の値踏みをする」というように、

それぞれ見えてしまうのは、そういうところから最も遠くありたいと思うわたしのひどい偏見でしょうか?

『ネット』と『生きる糧』との距離(2007.11)


誰もが一から順に読んでくれるわけでもないので、自分が見えるエントリは必要だと思うようになってきた。私らしさを感じる文章ってなんだろう?

一から順に読んでくれるわけのないことを逆手にとって、一番伝えたいことを繰り返し繰り返し書けばいいし、逆にそうでもしないと「私らしさ」は出ない(認知してもらえない)、そう思っています。

ブログ=繰り言2.0(2006.07)


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