「ネットの中の」あなたが見る、「ネットの中の」私。
それで、いいじゃない、と思います。
その脆さ儚さにさみしくなるときはあるけれど。
読者が見える人、読者に見える人: 304 Not Modified:
読まれる人に対して自分がどのように見えているかを考える人は少ない。
それがプロフィール的なことを指すのであれば、15年あまりずっと、
「謎」でありたいと思い続けてきました。
ただ、画面に映る文字のみで。(2004.04)
白紙のプロフィール-唯一、読み手に強制できること(2006.01)
このブログは、「ネットの私」です。(2008.05)
ネタ切れで軸がぶれたこともあり、もしほんとうに長期の読者がいらっしゃるのであれば、相当詳しく「プロファイリング」されているだろう、とは思っていますが(苦笑)。
『画面の向こうに人がいる』のは当然忘れてはいけないことですけれども、
言い方を変えれば、大原則は『画面を通じたおつきあい』だ、ということでもあって。
それはたしかにすごく脆くて儚いものではあるけれど、
それで、いいじゃない、と思います。
どういう人なんだろう、と思いを募らせて深入りしていくのは、いろいろと……
オフは、慎重に。(2008.12)
読者に見える人になれとは言わないが、読者は文章を通して、だんだんとブロガー自身を見えるようになっていると思う。自分を見せる、というのが、
ブログでも稼ごう、あるいはブログで稼ごう、というひとが「自分の(ブロガーとしての)市場価値をアピールする」というように、
ブロガー自身を見る、というのが、
ブログでも稼ごう、あるいはブログで稼ごう、というひとが「こいつは自分のビジネスに有用か?の値踏みをする」というように、
それぞれ見えてしまうのは、そういうところから最も遠くありたいと思うわたしのひどい偏見でしょうか?
『ネット』と『生きる糧』との距離(2007.11)
誰もが一から順に読んでくれるわけでもないので、自分が見えるエントリは必要だと思うようになってきた。私らしさを感じる文章ってなんだろう?
一から順に読んでくれるわけのないことを逆手にとって、一番伝えたいことを繰り返し繰り返し書けばいいし、逆にそうでもしないと「私らしさ」は出ない(認知してもらえない)、そう思っています。
ブログ=繰り言2.0(2006.07)
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