競馬は常に美しい……のか?
公営ギャンブルを俗に三競オート(競馬・競輪・競艇・オートレース)と申しますが、中央/地方/ばんえい競馬はそれぞれの持つ"空気"が全然違いますので、「五競オート」と表現した方がいいんじゃないかと個人的に考えているところでありますが、
さて。
従来の一般マスコミにおいてもまたネット上の個人においても、競馬──とくに中央競馬──に対する扱いが良すぎる、あまりにも美しすぎるような気がして仕方がないのでございます。
それぞれの馬の、あるいは騎手の物語、そして想いというもの、
それを理解できないわけではないのですが。
それがギャンブル、賭けの対象なんですよ、ということがキレイに、あまりにも綺麗に拭い去られているような気がするのです。
なぜそんなにも一様に扱いが美しいのでございましょうか?
法的には同列には扱えないと申しましても、実質的には「ギャンブルのもう片方の雄」といえるパチンコの、とくにネット上での扱いとの、そのあまりの差は一体……。
まぁ、ネット上でのパチンコ叩きは、いわゆる「特定アジアへのヘイト」が乗っかっておりますゆえ、その点でも別格というか別問題なのかもしれませんけれども。
ギャンブルであり、酒タバコ等と同じく本質的には「のめり込んではいけない対象」であるはずにもかかわらず、「アツく語る」ことがこんなにも受け入れられている、ということが、どうにも不思議なのでございます。
なおフォローしておきますと、
当方としても首記「五競オート」すべてにおいてライブ観戦経験があるのみならず、
とくに中央競馬においては開催全10競馬場を完訪した程度には興味を持っておりますし、
カップルと家族連れとを問わず、ギャンブル抜きで「競馬場にピクニック」に行くのは、とくにこれからの季節、なかなかのお勧めだと思ってはいるのでございますが。
| 固定リンク
コメント
JRAさんの広告戦略勝ちでしょうね。
競馬ってのは、それ専用の生き物を作り上げてまで博打をやろうという大変業の深いものです。
そこにある人間様のわがまま度は、冷静に考えたらゾッとする程です。
そんなものに比べたら他の博打の方がはるかにマシでしょう。
パチンコに関しては、博打以外の何物でもなく事実上の”民営賭場”であるのに摘発されない点、
脱税の温床、某国への裏送金のタネとなっている点が大問題で、
公営で遊技場を作り、”公営カジノの遊技の一種”とでもしない限りそれは解消しないでしょう。
投稿: ガンプラ | 2012.04.18 13:14
とくにバブル以降、JRAはホントにうまくやったなぁ、と思います。
まぁ競走馬であれ牛豚であれ品種改良は畜産振興そのものなので、業の深さは(競馬しなくても肉を食べてれば)そんなにかわらない気もしますけれども(^^;。
パチがいいなんて言うつもりは無いのですが、「一人が負けられる絶対額」でいえばレースのほうが格段に上なんですけどねぇ。
賭けなら際限なく負け続けることができますが(しかも高単価で)、パチンコはどこかで当たりを引いちゃう(笑)ものですから。
投稿: Tristar@管理人 | 2012.04.18 20:06