つながりレジスタンス─ココログ9周年─
MMORPGの中でさえ「リアル友人としかパーティ組みません」なんてひとが大勢になったりしたらシュールやなぁ、なんて。
知らない人と繋がるネットサービスはもういらないんじゃないだろうか : ARTIFACT ―人工事実―
リンク先の話はブログやSNSの「次はありや?」の話なので、今から書きたいこととはずれるのですけれども……
「あたらしいなにか」はもういらない、のならともかく、
「いまいるひとたち」にとっても、もうええねん、ややこしいことばっかりで飽きたやろ、と言われると、(ややこしいことが多いのは事実とはいえ)まだまだ抵抗したい気持ちは強く残っているんですけどねぇ。
それにね、
自分がお腹一杯になったから言うて、時代だから言うて、「もういらないんじゃない?」って、それはあまりに切なすぎる。
リンク先に、デスヨネー、って感想を述べているひとたちも。
お腹一杯になる程の<しらないだれかとのつながり>があったからこそ、あなたの今があるんじゃないのか。
そりゃいろいろややこしくなったし、格段に難しくなったかもしれないですけれども、
だからこそ"古強者"としての知恵を、なんというか「還元」する時じゃないのですか、
捨て去るんじゃなくて。
繋がりが面白いと思うような人たちは、匿名性が高いために孤独を感じる都市圏の住人だけではないか。地方なら、わざわざサービスを使わなくても、強制的に繋がりができてしまう。
たしかにこういう(フツーの人の)ブログを巡回しぃの、自分も書きぃの、なんて人口のたぶん半分は首都圏の民で、残りのさらに半分は(昨日今日昇格したんじゃない)政令市住まい、だったりして、その比率が崩れることのないままこのブームが終わりそうな気がするのですけれど、でも、どこであれ、
自分の趣味・興味の話題で(リアルで)だれかと盛り上がれるのか、というと、難しいことのほうが多いんじゃないですか?
そう考えると、むしろ地方ほど、おおげさに言えば、ネットでつながることで精神的に救われる、という可能性は大きいんじゃないですかねぇ、と。
ともかく。
<しらないだれか>と、<(リアルの)属性によるしがらみやフィルターを外して>話ができることこそが、ほかの何とも違う「ネットコミュニケーションの存在価値」だというのは、パソ通の昔から、決して褪せてはいないはすですから。
時代だから、とか言ってないで、ベテランほどそこはちゃんと護持してほしいのです。
一騎当千の古強者として……
ココログは9周年の日を迎えました。
そしてこのブログも9周年となりました。
自他ともにすっかり寂しくなりましたね……とは昨年も書いたことですが:
ココログ8周年─長く続けるということは、さみしさを貯めてゆく、ということ。(2011.12)
もう「ポジティブ合戦でも罵倒の投げ合いでもない、ただおだやかに話のできるつながり」を求めるなど、わずかに一個大隊 千人に満たぬ敗残兵に過ぎないかもしれませんが。
抵抗を続けてゆきたいのです。
つながりのレジスタンス。
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