『バカッター』よりも恐ろしいこと(Twitterで過ごした6年)
周年とは何の関係もないかもしれませんけれども……
もちろん、ブログブームの昔から、どこに行きました、なに食べました、と逐一写真を上げるひとたちの存在は当たり前にありました。
いまも、不用意に自宅あるいはその周辺の写真を公開することへの苦言はたまに見られますが。
Twitterの時代になって、まぁその中でも変遷はあり、現在のわたしのTLでは『I'm at ○○○』と『○○○にタッチ!』が優勢ですが、総称してジオタグ(giotag)と呼ばれるサービスをカジュアルに使うひとが激増しました。
なぁ、あんたがた。
何がしたいの?襲われたいの?
いわゆる『バカッター』、犯罪告白系のそれを「公開の場でそんなこと書く愚か者」と嗤うそのひとが、片方ではせっせとその指でリアルタイムの位置情報を発信し続けている、というのは、どう考えても矛盾やろ、違うか?
『事件』が起こらないまま、ずーっとそれが蓄積されていく、っちゅう点で、『バカッター』よりよっぽど恐ろしいことやと、なんで気づかへんの?
それを、昨日今日ネット始めた──ということは、自分のツレとのみしかつながることを知らない──連中はいざ知らず、わたしよりもネット上のキャリアがはるかに長く、かつはるかに濃いひとびとでさえうれしそうに使っている、というのがどうにも理解に苦しむところ。
写真上げるならExifの日付とGPS情報は消しとけ、とか、
旅の感想書くなら時系列シャッフルしとけよ、とか、
いまの時代に「公開の場でなにかを書く」にあたっての危機管理の基本の基本じゃないんですか。
昨日今日のひとはともかく、ベテランならベテランの矜持として、そこらへんの意識を持っといてほしいんやけどなぁ。
なんでもかんでも座標つき、って流れ、考え直してくれへんかなぁ?
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