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2016.04.23

「包丁が悪いわけではない」、けれど(Twitterと過ごした8年)

なにか災害が起こったりすると、ちかごろはもうTwitter社自身が「情報インフラであれ」と張り切るようになりましたが、
そこはアメリカのいち私企業の"私物"ですから。

使う側も「ちゃんとした情報」だという送り手の自負があるなら、「きちんとオーソライズされた組織しか取れないドメイン」の下で発信してくださいよ、そんなところで【拡散希望】していないで!


……さて、いくら「娯楽のプラットフォーム」だとしても、本邦の現行法規は守らないといけないわけですが。

あまりにもカジュアルに──かつ大量に──著作権の観点からは限りなくクロに近い画像ツイートがあふれるようになった、この一年でした。

日々もう、
放送かアニメソフトか知らんが画面のキャプチャも、
マンガ本のあるカットの写真(これも電子書籍のキャプチャ?)も、
溢れるように上げるひとがいて、
溢れるようにリツイートで拡散されておられる。

「実態にそぐわない悪法は既成事実で圧倒して空文化してしまえ」という意志があってのことなのか、
公式に、名指しで、警告受けたら悪態のひとつふたつと引き換えに止めてあげるのか、
みんなが(表面上問題なく)やってるから自分もしてるだけなのか知りませんけれども、
せめて本邦の現行法規に照らせばなにがしか後ろめたい行為、って自覚だけはあるんですよね?
なにも考えてないの?まさか。

おそらくは、道具は悪くない、いわゆる『「包丁で人を刺したからといって包丁が悪いわけではない」理論』で反論されるんでしょうけれども、
画像つきツイートという機能が、その道具が悪いわけではない、とはいえ、
ここらへんで相当に強力な警告を出しておかないと、なんか妙なとばっちり受けそうな気がするんですけど、ねぇ……。


──Twitterをはじめて8周年の日に。

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