2022.07.01

縁と、流儀と、デジタルタトゥーと(ニフティ35周年によせて)

サービス開始35周年おめでとうございます。
そしてサービスを続けていただき、ありがとうございます。

自分にとってニフティと言えばさすがに今はココログと答えるでしょうけど、
やはりネットコミュニケーションの原体験としてのNIFTY-Serveであって。
Inetgate
職場で自組織の外からのメールを振り分けるフォルダに[INET GATE]の名を付けるくらいには!

さてここで35周年によせてNIFTY-Serveの──なにより、フォーラムの──思い出を詳細に書いたところで、"中の人"にもフォーラム全盛期を知るひとはどれだけ残っているのか、理解いただけるのかと思うとかなり疑問ですし、なによりパソコン通信絡みの話はここで過去さんざん書いてきたわけでして。

カテゴリ:フォーラム@NIFTY


さて。
ここまでネットになにかを書くことを続けることができているのは「場の縁」、フォーラム時代の縁に恵まれたとしか言いようがないわけで、バトルも訃報も含めて平和な話ばかりではなかったとはいえ。
そのおかげでここまで、今はもうコミュニケーションをほぼ失ってしまったネットに時間を費やしてきたことが、いいことか悪いことかは分からないのですが(苦笑)。
そしていまでも、まだどこかに、(あの頃のノリの)コミュニケーションの残渣を探し続けていて……

でもそれは「場の力が結びつけた縁」らしくて、べつの場所、「場の流儀」が変わったところではほんとうに続かないものだな、というのも、ネットで長年暮らしてきた中で何度となく繰り返してきた実感で。
まぁコミュニケーション強者なら新しい場でもさらりと「別の縁」にめぐりあうのかもしれませんけどね。

……時は流れて、2022年。
フォーラムは永遠だなどと無邪気に思っていた昔にも、ブログの可能性に夢を見た昔にも、ただただ自分の不明を恥じるより他ないのですが、それよりも。
無邪気に書き散らしてきたあれやこれやが「デジタルタトゥー」と名付けられる存在になるとは思ってもみませんでした!

パソコン通信終了でログも消滅してしまう、というのを、当時は恨んだものですが、今となっては「本当に良かった!」という正反対の感想に。
あれが検索され得る形でネットに残り続けていたら、なんて、考えるだけでも……。

とはいえWindows10でもNifTermは問題なく起動するわけでして、
あなたの、そして私のハードディスクにも可読性のある記録として残っているのもまた事実で。

Nifterm

その事実が自らの「ネット上でのヤンチャ」への抑止力になっていたりもするのです、が……

とにもかくにも、ネットに何かを書けば、それは永遠に掘り返され得ることを知った今。
あの頃に帰って、実名主義者を、相手に「実名と所属を名乗れ」と強要していたやつらをどなりつけてやりたい。
こんな時代が来るんだぞと。
お前自身はいい、強要した相手に実名公開が原因で将来もし何かあったら、その十字架を一生背負えるのかと。
このろくでもない時代から、間違いなく牧歌的だったあの時代へ。


三題噺はここまで。

See You Online ── それでは、また画面のどこかで。

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2022.01.10

Web2.0はエコーチェンバーの夢を見たか


万人がスマホにかじりついているいまの時代に「ネット民」というラベリング自体が古代民と言われそうですが……
かつてネットに"住んで"いると例えられた時代を生きてきたんだからしょうがないでしょ!

さてその「ネット民」から10人を無作為抽出したら、いつも見にいくサイトはそれぞれ重ならない文字通りの"十人十色"になりそうですが、
10000人を無作為抽出してみても、お気に入りサイトは百からせいぜい数百通りに収まってしまうんじゃないかと思えます。

……かつての『島宇宙』、少し前の『フィルターバブル』、そしていま言われる『エコーチェンバー』の結果として。
(ところでこの3つのコトバ、同義の言い換えなのか意味するところが微妙に違うのか、どっち?)


「インターネット」と全体を語れば、広大である、というのは事実ですけど、
個々人が見に行ける──ましてや、好んで見に行く──範囲はごくごく狭い世界だ、という当たり前のことに、
ネットを手に入れたって視野なんて広がりはしない、むしろ固定化・強化されるだけだ、ということに気がつかずに、
なぜあの頃Web2.0だ何だと煽り煽られしたのでしょうか。

職務として巡回するのでもなければ、またネットウォッチャーでもなければ、そりゃ心地のいい場所にしか行くわけないですよね、完全プライベートなんだから。


あの頃のWebに本気で夢見たひとも自らの金脈として煽ったひとも「先見の明があった」ことでは変わらないと思いますけど、
あなたがたは、その先、いまのような──大多数はせいぜい両手で数えられる程度の特定動画にかじりつくような──未来を見通していたのかどうなのか?

どうしてこうなった。

べつに陰謀論もフェイクニュースもネット以前からあったわけですけど、ネットによってものすごいスピードと強さで広がっていっているわけで、これ相当マズい状態じゃないの、どうしようもないけどどうするのよコレ、と、結構怖い思いを持つこの頃です。

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2020.12.02

周年目前の大暗闘-ココログ17周年

ココログと、1日遅れで始めたこのブログは、17周年を迎えました。

(一方的に)伝えたいことや見せたいことなんて、べつになかったんですよ。
はじめは、ただコミュニケーションがしたかった。

まぁそこは自分の実力の無さを、早々に絶望として感じたわけですけれど、
たまに個人ニュースサイト(ってのも死語かなぁ……)に拾ってもらえていたことが書く理由になっていたりもしました。

そうこうするうちに仕組みとしてのコミュニケーションも絶滅して今に至る……までの話はさんざん繰り返したことなのでいいとして:

仮死状態のブログにもかかわらず、日に3回は管理画面にログインし続けているのもおかしな話ですが……
今年後半くらいからかな、猛烈に外国語のスパムコメント( Hormel Foods に悪いのでこの表記は使いたくないが)が来るようになりまして。

一晩に多ければ50件以上。
でもアクセス解析に出るアクセスは、無い。

ウェブ周りの不正(というか迷惑)テクノロジーには疎いのでどういうカラクリかは理解の範囲を超えますけど、コメント全拒否にするのは自分のポリシーが許さない(笑)ので、ともかく毎日淡々と──とはいえわりと面倒──削除はしていたのですが。
ある日管理画面で「海外IPからのコメント」を拒否できるスイッチを見つけまして、これでコメント来襲は一件落着……したのですが、

なぜかそこからアクセス数が以前の数倍に(実数は秘匿)。
アクセスログを見た感想ではスパマーの攻撃失敗がアクセスとしてカウントされてるっぽかったり……(苦笑)。

ほんと、うちみたいなブログにコメントしてもコメント内リンク踏む人なんて居ませんから!
と、思わぬ闘いになっていたこの数か月。


ま、そんなこんなで、続いて……じゃない、17年、閉じないでいられています。

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2020.05.22

「ハッシュタグ・ポリティクス」の憂鬱

個別の案件には触れない。
未来の自分が見返したとして、たとえば「検察庁法」の文字列に「何だった?」と思うだろうし、むしろそうなることを望みたいから。

 

……だから、決して個別の案件云々ではなく。
ハッシュタグつき政治案件ツイートが何百万とされました、それがために現実の立法行政が方針転換しました、ということが実際に起こったとして、それが──そんなことが起こり得る社会が──本当に善きことなのか。

左方向で起こったならば右方向でも容易に起こり得るぞ、それでいいのか?
ただでさえ社会インフラたらんとはりきるTwitter(Japan)が、またまた全能感に拍車をかけるだろうけど、それでいいのか?

著名人であれミヂカリスマことSNS有名人であれ一般大衆であれ、意見表明そのものを悪いとはいえないだろう、道徳としては。
だとしても、現代日本のインターネット空間で、ましてやSNSなどで機微に触れる発言をしたらどうなるか、を分からないユーザーなどいないだろう? ふだん反応に敏感な──敏感でなければ生きていけないはずの──人気商売やってるなら尚更!

賛否双方から突撃を喰らい、
「誰が乗って誰が乗らなかったか」でレッテルが貼られ、
発言することの是非、という入り口論で沸騰する。

SNSで沸いたことが問題の中身に対する議論につながったことがあった、とでも?
中身の議論から遠ざかるだけじゃないですか、徹頭徹尾。
荒れが加速するだけでなんのメリットもありはしない。
……話の内容にとっても、あなた個人にとっても。

現代日本のインターネット空間──とりわけSNS周辺──の、それが現実じゃないですか?
いつまで無邪気に、あるいは分かっていてわざと、無節操なハッシュタグブームに乗るつもりなんですか。

 

政治の話をするな、と言いたいわけではない。
ただ、インターネットは、とりわけSNSは、政治について意見表明するにふさわしい場所では、断じてない。少なくとも現代の日本語圏においては。

 

……無論こんな願いもむなしく、これからますます不毛なハッシュタグ合戦が繰り広げられてゆくのでしょう。
そんないっときのノリで、立法行政が誘導されてしまうなんて……この憂鬱が杞憂で、ほんの瞬間的なブームで終わることを願います。

 


 

わたしは昔から今も変わらず、個人が個人の資格で発信することなんて趣味余暇娯楽の領分に留めておけ!と思っています。
インターネットを政治で汚すな、というのが本音です。

それは身勝手だとしても。

インターネットを政治で荒らすな

政治でインターネットを荒らすな

とは言わせて欲しい。もちろんインターネットの部分を各SNSに代入しても、同じく。

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2019.12.02

(無題)─ココログ16周年

もはやタイトルも思いつかないほどですが、一応……
ココログと、1日遅れで始めたこのブログは、16周年を迎えました。

ちなみに中の人はリアルでの記念日は意識しない傾向が強いのに、不思議と「インターネット/パソコン通信を始めた日(←同時です)」と、この「ブログを始めた日」だけはずっと意識し続けていたりします。なぜ。


ネットにおける個人の身の上にはなにも変化のない1年でした。
これは「劇的なことはなにも起こらないように」生きてきた結果であって、達成率100%。
これって珍しくかつ難しいことだと思うんですけどね。

ブログやSNSの注意点とか(悪い意味での)魔力とかを表現するのに
「承認欲求」 のたった4文字で済む、と、
この世界が長いご同輩には一瞬でわかっていただけるはずですけど、
これに抗い続けるのは、ね……

 


 

ココログのトピックとしては何をおいてもトラックバックの廃止……と思いたいところですが、とりたてて話題にもならず淡々と告知され実施され日々が過ぎてきたのもまた事実で、ネットコミュニケーションを信じてきた身には、もう何と表現してよいか。

 

ブログ、って、何でしょうね。

(そこらへんの無名人が完全な個人の立場で)いまからブログ始める、ということには、デメリットを上回るメリットがなにも見つけられないんですよね、自分の想像の範囲内では、ですが。

 

……私?
そこはもう超越しておりますよ、
ただここに存在している──閉じるハメにはなっていない──こと、それだけが自負です。

 

 

 

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2019.09.29

そろそろ『Web2.0反省会』を出版してほしい頃

もう昔話のたぐいになりますか、Web2.0を喧伝したあげく、「"日本の"ウェブは残念」と捨て台詞を残して表舞台からお隠れあそばされた自称"職業オプティミスト"さんが居られました。
その後のさらなる残念さは、ここを読まれるような方々のほうがより詳しくかつ身に沁みておられるものと存じますが……
なんのことはない、太平洋の向こうでも、ネット上のフェイクニュースが力を持ち、あまつさえかの国の大統領選挙に影響を与えた、というではないですか。

2000年代以降、"Web2.0"と、あるいは"Wisdom of clouds"と書き散らし、「個人が個人の資格で雑多に発信すること」の集積をやたらに「価値あるもの」として喧伝されてきた皆々様にとっては、これら現実は"みんなの意見"は"意志をもって偏らせた意見"and/or"注目集めて稼げりゃなんでもあり"に勝てなかった、という「明確な敗北」であり、あなたがたが無駄に"ウェブの個人発信部分の価値"を高めてきたがゆえにそこを喰われた、という点で、価値を高めることに尽力したあなたがたはその共同正犯と言っていいでしょう。

「量が質に転化する」のは、たしかにある一定の閾値までは正しいのでしょう。
ただ、衰退させずその閾値を維持できた例も、閾値を超えて質を維持できた例も、わたしは知りません。


エンタメに徹してりゃよかったものを。
人が皆持っている「バカで暇な部分の発露」にとどめておけばよかったものを!


さて、そろそろ。
『失敗の本質』のように後世の視点から見た学者による研究ももちろん有用ではあるのですが、ここはひとつ、『海軍反省会』のごとく、
純粋に可能性を夢見たひとも、そこに稼ぎの鉱脈を見つけたひとも、みんな集めて、"Web2.0"を、"Wisdom of clouds"を喧伝し、必要以上に「個人が個人の資格で雑多に発信する場」の価値を高めることに尽くした皆々様自身による「敗北検証」をぜひとも出版していただきたく願うものであります。

……もちろん電子書籍など論外、ネット書店も排除した、リアル書店限定流通の「紙の書籍」として。

 

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2019.02.22

さよなら、トラックバック。

つらい。
そういうお前も長い間使ってないじゃないかと言われても、そのシステムごと消えるのは、やはり「つらい」としか。

「ココログ」全面リニューアルのお知らせ(2019/3/19): お知らせココログ:@nifty


・トラックバック機能の終了

※すでに受けた情報は保持します。

このココログからもトラックバック機能が消えてしまうそうです。
ついに来たか、という感じでもありますが、……


ほんの3カ月前に書いたし、何度も書いてきたことの繰り返しにはなるけれども。

トラックバックによるコミュニケーション機能を消したら、ブログをブログたらしめるもの、他の何とも違う「ブログの特徴」とはいったい何なのか。だれか教えてください。
前世紀、HTMLをちまちま手打ちしていた「ホームページの日記コーナー」と、変わるところがなくなるじゃないですか?


なにごとか言及したけりゃ相手構わずトラックバック撃てていた、なんて2010年頃まで、
ブログなるものが世に出てから10年足らずの、そっちのほうが「特別な時代」だった、というのもまた確かではあって、
考えずにそんなことできる"空気"ではなくなって久しく、ごくまれに言及したいと思った相手先のブログサービスからはすでにトラックバック機能が取り去られていて、あるいは最初から実装されてすらいなかったりして。

(おそらくは)ココログ内でも上記の発表は淡々と受け入れられて、ひっそりとその役目が幕を下ろし、むしろいままでよく残ってたな、と思われる、それこそがトラックバック機能の時代不適合さをよく表しているのでしょう、理屈としてのそれは分かりますよ、分かるのですが、……


あるコミュニティで和気あいあい、活発にコミュニケーションできていた「つながり」は、場を変えた途端に不思議と続かなくなるものです。
だから。
ブログが廃れたらほかの何かに移ればいいじゃない、ということではないんですよ。
基本ブログで得られたつながりは、ブログというシステムの中でしか続かないから。
これからはその維持すらも、ものすごく困難になるということでして。
言及したよー、と、わざわざTwitter辺りでメンション飛ばすの?なんか違うでしょう。


最後にひと花、せめてトラックバック送りあいましょうとか、できもしないし、
ただ静かにその日が来て、また過ぎてゆくのでしょう。


……さよなら、トラックバック。



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2018.12.02

言いっぱなしを、ブログと言えるか!─ココログ15周年

インターネット世界の中でこれだけ続くのは奇跡に近いと考えるのはマイナーなのか、
今日もココログトップページは通常運転のようですが……
ココログと、1日遅れで始めたこのブログは、15周年を迎えました。


先祖返りしていますよねという話は10周年エントリでも書いたのですが。

ココログのシステム的にはかろうじて残っていますが、
最初からコメントやトラックバックの機能をつけなかったブログサービスもいくつか出てきて、
古参事業者でもトラックバック機能を取り去ったところがいくつかあるようで……

(ブログページでの、直接の)コミュニケーションがなくても、Webに残すLog──というのがブログの語源──に違いないと言われればそうかもしれませんけど、コミュニケーション機能を「システムとして」実装していないのなら、前世紀の「個人ホームページの日記コーナー」と選ぶところがなくなるんじゃないですか?

コミュニケーション以前にエントリ書いてもいない私が何かを言えた義理ではないのは棚に上げて、
どのみち自分だってネットの向こうのだれかとコミュニケーションしてないですけど、

システムとしてコミュニケーション機能切ったら、それは前世紀への退化でしょう。
いやまだ掲示板機能がついていただけ個人ホームページのほうがマシか。
個人が勝手にただただ言いっぱなし、一方方向の世界をブログといえるか?それは望んだ未来か?


……『ブログというフォーマット』に対する帰属意識、みたいな話がどこまで伝わるのか分かりませんが、
ともかくグチるしかない周年エントリでございます。


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2017.12.02

あしたの平穏のために─ココログ14周年

数日連続で来襲したマルウェア誘導メールの後で、「セキュリティに注意を」という題名のマルウェア誘導メールが来る、という事態に、あらためて"インターネットの光と闇"ということを考えたTristarです、こんばんは。


ココログと、1日遅れで始めたこのブログは、14周年を迎えました。

意味のあるなしはともかくも、ずっと(移転なしに)続いているブログがどれだけあるのだろう?と思いますが……
手芸や園芸の方面だと、それこそネットのない頃から(リアルの)展示会-ホームページ-ブログ、そして今や動画、と続いている方々も少なくないのだとか。
ネットに頼らないのがいちばん強い、ということでしょうか(笑)。


話は変わって。

本邦に限らず、政治的・思想的に極端な物言いと、それを助長するためのデマニュースが、オープンなインターネットにあふれる時代になってしまいました。

"わるい熱狂"に塗りつぶされて、
極端をエスカレートさせていって、
ただただ増幅させた自分のヘイトを一方的にぶちまけるだけで、
「他愛無いことで普通に話をすること」がどんどんできなくなってしまいました。


……さて。

先日来、どこかで「冷笑的な態度は何も生み出さない」なる批判がホットワードになっていました。
たしかにそうかもしれませんね。

でも、そうだとしたら。
政治的・思想的に極端な物言いと、それを助長するためのデマニュースに対しては、声高にアツく反論するのではなく、
冷笑的な態度で接することが、わるい熱狂を生み出さない唯一の方法であるかもしれません。

極論には、皆で冷笑的に接しましょう。そして積極的な冷笑の声を。

これ以上わるい熱狂を生み出さないために
これからもわたしは、世事批評に対して、冷笑的なスタンスに立ち続けたいと思います。


明日も「平穏なインターネットで、平穏に」あなたとコミュニケーションができますように。




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2016.12.02

なんとか生きてます──ココログ13周年

この文章を投稿する時点では、この文章を投稿できる程度には生きてます。
ココログは──そして1日遅れで始めたこのブログも──13周年を迎えることができました。


何年も前からどう見ても敗残兵としか言いようのない存在だったにもかかわらず、あの人もこの人もみんな消えていった、昔日のコミュニケーションをもう一度、と書き続けてきたわけですが、
ひとの興味は移ろいゆくもの、十年も同じ場所で続けるほうがオカシイともいえるわけで(まさか否定はできまい?>同輩各位)。

ブログなるものにわりと早い段階から飛びついて、振り返れば先行利益をそれなりに享受できていたんだな、と今になって思うわけですけれども、
衰退期になってもまだしがみつく者を"アーリーアダプター"と定義できるわけもなく、自分(達)は一体何と呼ばれるのが似合うのでしょうか?

先月ついに日間アクセス数「1」という最低記録を樹立するに至り、さすがに潮時かと思い始めつつも、自分の意志で止める理由もことさら見当たらず。


この文章を投稿する時点では、この文章を投稿できる程度には生きてます、と、ただそれを報告するだけの周年エントリでございます。

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