2022.01.10

Web2.0はエコーチェンバーの夢を見たか


万人がスマホにかじりついているいまの時代に「ネット民」というラベリング自体が古代民と言われそうですが……
かつてネットに"住んで"いると例えられた時代を生きてきたんだからしょうがないでしょ!

さてその「ネット民」から10人を無作為抽出したら、いつも見にいくサイトはそれぞれ重ならない文字通りの"十人十色"になりそうですが、
10000人を無作為抽出してみても、お気に入りサイトは百からせいぜい数百通りに収まってしまうんじゃないかと思えます。

……かつての『島宇宙』、少し前の『フィルターバブル』、そしていま言われる『エコーチェンバー』の結果として。
(ところでこの3つのコトバ、同義の言い換えなのか意味するところが微妙に違うのか、どっち?)


「インターネット」と全体を語れば、広大である、というのは事実ですけど、
個々人が見に行ける──ましてや、好んで見に行く──範囲はごくごく狭い世界だ、という当たり前のことに、
ネットを手に入れたって視野なんて広がりはしない、むしろ固定化・強化されるだけだ、ということに気がつかずに、
なぜあの頃Web2.0だ何だと煽り煽られしたのでしょうか。

職務として巡回するのでもなければ、またネットウォッチャーでもなければ、そりゃ心地のいい場所にしか行くわけないですよね、完全プライベートなんだから。


あの頃のWebに本気で夢見たひとも自らの金脈として煽ったひとも「先見の明があった」ことでは変わらないと思いますけど、
あなたがたは、その先、いまのような──大多数はせいぜい両手で数えられる程度の特定動画にかじりつくような──未来を見通していたのかどうなのか?

どうしてこうなった。

べつに陰謀論もフェイクニュースもネット以前からあったわけですけど、ネットによってものすごいスピードと強さで広がっていっているわけで、これ相当マズい状態じゃないの、どうしようもないけどどうするのよコレ、と、結構怖い思いを持つこの頃です。

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2021.11.28

セクストーションはなぜジェントルであり続けているのか?

【注:2021年11月現在の話──未来の読者への警告】

 

詐取メールの何が"ジェントル"だと、まぁ怒らずに……

セクストーション。
「あなたのデバイスを乗っ取ってあなたのアダルトな趣味とその反応を録画したからバラされたくなければビットコインで身代金払え」という、アレです。
初出から3年と少し、最初は300ドル相当だった要求額も、今では1700ドル超または20万円にまで吊り上がりましたけど。

うちにいままで着弾したのは100通以上1000通未満の単位かな、まぁ、昔に比べりゃ大した話ではなくてね。
参考→受けも受けたり三十二万通(2009.11)

さて。
そのセクストーション、件名や文面はいくつもの変異株?を産みだしても、
初出から現在に至るまで「全くのテキストオンリー」であって(*)、
「(マルウェア)添付ファイル」や「フィッシングサイトへのリンク」付きに進化したというセクストーションを、自身はもちろん、報告でも見たことがないのですが。
(*)数値文字参照で書かれたHTMLメールを含む

なぜなんでしょうか?
トリガーを複合させれば引っかかる確率は単純に上がるのでは?と、素人考えでは思うのですが。

……だから。
いまに至るまで、種々の迷惑メールと比べても、開封しただけでは何の被害も起こることのない、きわめて紳士的な迷惑メールだと思うところで。
件名で想像は付くので、安心して開いて──発生初期にパスワードが書かれていたという話があったのでその確認もありますが──ネタにできる(笑)。
どれだけTwitterネタの種として役に立ったか!(歪)。

 

しかし。
複合脅威にならないのはなぜなんでしょうか。
ダークな世界にも「マルウェアファミリー」「フィッシング社會」「脅迫メール組」みたいな厳しい棲み分けの掟があって、
ヨソのシマを荒らせば血の粛清が待っている……とか?

謎。

 

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2021.05.29

もういちど思い出しましょう:ここが「インターネットだ」、ということを。

こっちはそれこそパソコン通信の昔から「Networkの匿"顔"性」って書いてきたし、
ここでも繰り返し『「属性のしがらみ」からの自由』と書いてきたし、
それに特化したエントリも上げてきたわけです。

Facebookは滅びるべきである。 (2011.02)
ネットをリアルと地続きにしか使っていないのはあまりにもったいないよ、という話。 (2019.05)

みなさんも。
もういちど思い出しましょう:ここがインターネットであることを。
実名や所属は言うに及ばず、年齢性別学歴職歴、そして当然に顔や声も明かさないままでいること──いられること──が、ネットコミュニケーションの持つ、「他の何とも違う、そして最大の特性」だということを。

何が音声SNSですか。(Twitterの)スペースですか。
ありえないでしょう!

なんで新しく出てくるコミュニケーションサービスというものは、上に書いたネットコミュニケーション最大の特性を叩きつぶし、蹂躙しようとするのですか?
いいかげんにしてもらいたい!と、切に思うところ。


話を広げるとですね、たとえば、

「声優がアイドル活動を要求される」のも、
「ラジオDJ/パーソナリティが収録写真をSNSに上げている」のも、

それは違うんじゃないですか?と思わざるを得ないんですよね、同じ理屈で。


みなさんどう思われます?

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2020.12.02

周年目前の大暗闘-ココログ17周年

ココログと、1日遅れで始めたこのブログは、17周年を迎えました。

(一方的に)伝えたいことや見せたいことなんて、べつになかったんですよ。
はじめは、ただコミュニケーションがしたかった。

まぁそこは自分の実力の無さを、早々に絶望として感じたわけですけれど、
たまに個人ニュースサイト(ってのも死語かなぁ……)に拾ってもらえていたことが書く理由になっていたりもしました。

そうこうするうちに仕組みとしてのコミュニケーションも絶滅して今に至る……までの話はさんざん繰り返したことなのでいいとして:

仮死状態のブログにもかかわらず、日に3回は管理画面にログインし続けているのもおかしな話ですが……
今年後半くらいからかな、猛烈に外国語のスパムコメント( Hormel Foods に悪いのでこの表記は使いたくないが)が来るようになりまして。

一晩に多ければ50件以上。
でもアクセス解析に出るアクセスは、無い。

ウェブ周りの不正(というか迷惑)テクノロジーには疎いのでどういうカラクリかは理解の範囲を超えますけど、コメント全拒否にするのは自分のポリシーが許さない(笑)ので、ともかく毎日淡々と──とはいえわりと面倒──削除はしていたのですが。
ある日管理画面で「海外IPからのコメント」を拒否できるスイッチを見つけまして、これでコメント来襲は一件落着……したのですが、

なぜかそこからアクセス数が以前の数倍に(実数は秘匿)。
アクセスログを見た感想ではスパマーの攻撃失敗がアクセスとしてカウントされてるっぽかったり……(苦笑)。

ほんと、うちみたいなブログにコメントしてもコメント内リンク踏む人なんて居ませんから!
と、思わぬ闘いになっていたこの数か月。


ま、そんなこんなで、続いて……じゃない、17年、閉じないでいられています。

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2019.09.29

そろそろ『Web2.0反省会』を出版してほしい頃

もう昔話のたぐいになりますか、Web2.0を喧伝したあげく、「"日本の"ウェブは残念」と捨て台詞を残して表舞台からお隠れあそばされた自称"職業オプティミスト"さんが居られました。
その後のさらなる残念さは、ここを読まれるような方々のほうがより詳しくかつ身に沁みておられるものと存じますが……
なんのことはない、太平洋の向こうでも、ネット上のフェイクニュースが力を持ち、あまつさえかの国の大統領選挙に影響を与えた、というではないですか。

2000年代以降、"Web2.0"と、あるいは"Wisdom of clouds"と書き散らし、「個人が個人の資格で雑多に発信すること」の集積をやたらに「価値あるもの」として喧伝されてきた皆々様にとっては、これら現実は"みんなの意見"は"意志をもって偏らせた意見"and/or"注目集めて稼げりゃなんでもあり"に勝てなかった、という「明確な敗北」であり、あなたがたが無駄に"ウェブの個人発信部分の価値"を高めてきたがゆえにそこを喰われた、という点で、価値を高めることに尽力したあなたがたはその共同正犯と言っていいでしょう。

「量が質に転化する」のは、たしかにある一定の閾値までは正しいのでしょう。
ただ、衰退させずその閾値を維持できた例も、閾値を超えて質を維持できた例も、わたしは知りません。


エンタメに徹してりゃよかったものを。
人が皆持っている「バカで暇な部分の発露」にとどめておけばよかったものを!


さて、そろそろ。
『失敗の本質』のように後世の視点から見た学者による研究ももちろん有用ではあるのですが、ここはひとつ、『海軍反省会』のごとく、
純粋に可能性を夢見たひとも、そこに稼ぎの鉱脈を見つけたひとも、みんな集めて、"Web2.0"を、"Wisdom of clouds"を喧伝し、必要以上に「個人が個人の資格で雑多に発信する場」の価値を高めることに尽くした皆々様自身による「敗北検証」をぜひとも出版していただきたく願うものであります。

……もちろん電子書籍など論外、ネット書店も排除した、リアル書店限定流通の「紙の書籍」として。

 

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2019.05.01

ネットをリアルと地続きにしか使っていないのはあまりにもったいないよ、という話。

昔なら全力で反論のトラックバック叩きつける話なのに送受双方からその機能が奪われて久しく、
せめて言及先が個人ブログならTwitterでもなんでも使って言及したと伝えたいところ匿名ダイアリーが相手ではどうしようもなく、
でも予定稿を予定稿で眠らせるのはもったいないから……

 

 

リアルとネットは別という感覚が良く解らない(はてな匿名ダイアリー):

おっさんおばさんの感覚なんだろうな。

 

若年、といってもアラサーくらいか、それ以下の世代は『「ネットとリアル」という分けた物言いが理解できない』などと上の世代に対して違和感を表明することがあるようですが:

 

そりゃまぁ、あなたがた、
ネットデビューが学校裏サイトかミクシィか、ともかく「リアルのつながりをネットに平行移動したもの」で、
その後もLINEで(リアルの)知人とキャッキャする(ことをホントは疲れてても演じる)ので精いっぱいだろうし、
少々意識が高い方面は本業か副業か起業かは色々あれど、かき集めた人脈を自分の銀行口座につなげるのに必死だろうから、
最初からネットはリアルに地続きで、他に知らないから、分けるという概念が理解できないのも分からなくはないです。

 

……というのは実年齢じゃなくネット歴短かけりゃたぶん同じで、同窓会連絡に便利だからと誘われて定年を迎えた5年前からFacebook始めました、なんていうひとたちにも「ネットとリアル」という分けた物言いは恐らく理解できないんだろう、と思いますが。

 

いや、いいんですよ、それはそれで平和……かどうかはさておき、リアル生活圏の範囲で止めてりゃ、
まぁ、想像を絶するような恨めしい出会いにぶち当たることはないだろうし。

 

 

でもね、何十回でも書くけれども、
それじゃあまりにも、もったいない、んですよ。
リアル知人で止まっていたら、「ネットコミュニケーションのみが持っている特性」の8割から9割を自ら捨てていることになる……って、気付いてますか???

 

昔書いたんだけど:

Facebookは滅びるべきである。(2011.12)

 

ネットコミュニケーションが他(のコミュニケーション)と大きく異なる点は何か、といえば。
<しらないだれか>と、<(リアルの)属性によるしがらみやフィルターを外して>話ができる、この点にあるはず。

 

 

今の時代、人脈を銀行口座につなげる努力みたいなものを全否定できるわけじゃありませんけど、

 

ネットを通じてコミュニケーションするのに「実名と所属を名乗れ」は控えめにしていただきたい。
リアルから──憂き世から──切り離したところで、
好ましくは政治経済や愛憎からも離れて、ただ自由に他愛なく、
実名や所属を名乗らずにいる、そこにこそ他の何とも違うネットコミュニケーションの特性があるんだ、ということに、どうか気付いてほしい、そう、パソ通上がりの古参兵は切に願うのです。

 

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2017.12.02

あしたの平穏のために─ココログ14周年

数日連続で来襲したマルウェア誘導メールの後で、「セキュリティに注意を」という題名のマルウェア誘導メールが来る、という事態に、あらためて"インターネットの光と闇"ということを考えたTristarです、こんばんは。


ココログと、1日遅れで始めたこのブログは、14周年を迎えました。

意味のあるなしはともかくも、ずっと(移転なしに)続いているブログがどれだけあるのだろう?と思いますが……
手芸や園芸の方面だと、それこそネットのない頃から(リアルの)展示会-ホームページ-ブログ、そして今や動画、と続いている方々も少なくないのだとか。
ネットに頼らないのがいちばん強い、ということでしょうか(笑)。


話は変わって。

本邦に限らず、政治的・思想的に極端な物言いと、それを助長するためのデマニュースが、オープンなインターネットにあふれる時代になってしまいました。

"わるい熱狂"に塗りつぶされて、
極端をエスカレートさせていって、
ただただ増幅させた自分のヘイトを一方的にぶちまけるだけで、
「他愛無いことで普通に話をすること」がどんどんできなくなってしまいました。


……さて。

先日来、どこかで「冷笑的な態度は何も生み出さない」なる批判がホットワードになっていました。
たしかにそうかもしれませんね。

でも、そうだとしたら。
政治的・思想的に極端な物言いと、それを助長するためのデマニュースに対しては、声高にアツく反論するのではなく、
冷笑的な態度で接することが、わるい熱狂を生み出さない唯一の方法であるかもしれません。

極論には、皆で冷笑的に接しましょう。そして積極的な冷笑の声を。

これ以上わるい熱狂を生み出さないために
これからもわたしは、世事批評に対して、冷笑的なスタンスに立ち続けたいと思います。


明日も「平穏なインターネットで、平穏に」あなたとコミュニケーションができますように。




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2017.10.20

投票に関する「いい子発言」圧力と、危険な棄権デマに震える。

投票日が近づくと沸いてくるんですよね、

「自分が票を投じても(思うようには)何も変わらない」
当たり前やろ、その1票で変わるようなら、あんたすでに一般人ちゃうわ(笑)

……そこで。
おまえの願いを通したけりゃ「闇将軍」「フィクサー」「財界総理」目指してのし上がれよ!なんてゲキ飛ばすひとの10人や20人、居てもいいんじゃないの、と思うんですけどねぇ??


回答が揃いも揃って「それでも選挙には行きましょう」って、もうね。

日常どれだけふざけて、どころかモラル逸脱上等な発言繰り返していてさえも、投票行動──ただし国政の、しかも総選挙限定──についてだけは、揃いも揃って「道徳的」「優等生」発言しかしない(できない)、のは見ていて痛々しいんですが。

そういう発信しか許されない"暗黙の同調圧力"を、何とも思わんのかあんたら。

それが怖くて怖くて、ほんと身も凍りますわ。


「それでも選挙には行きましょう」、そこまでで抑えているなら別にいいんですよ。天下の正論だ。
だけど、これまた投票日が近づくと沸いてくるんですけれども、

棄権や白票は白紙委任に等しいから、今後そいつは政治(家)について一切の物申す権利を失うんだとか、そういう悪質なデマは断じて許されませんよ
日本国憲法第十六条(前段)に自分勝手な前提条件つけんといてくれるか?

闇将軍はともかく、そして選挙をないがしろにしていいわけじゃないけれども、
政治への参画は、自らの影響力の行使は、なにも選挙に行くだけじゃなかろうが。
ましてやモノ申す資格として「毎回選挙に参加し、かつ有効票を投じることが前提になる」とか、いいかげんなデマをまき散らすのは止めてほしい。


知っていますか?
物申すやり方、権利の行使のやり方、というのもいろいろあるんですよ。
たとえばなにかの圧力団体(という単語は義務教育で習ってるはず)に属することで要望を伝えていく、というのも真っ当な道のひとつ。
陳情や請願や署名を出したとして、だれかがそいつの選挙権行使履歴をいちいち照査するの?

選挙棄権したら政治に対して一切の物申す権利を失うんだとかデマをまき散らす馬鹿者どもへ。
日本国憲法第十六条を一読(できれば声に出して三読)したなら、己の不明を恥じて即時取り消していただきたい!
相当えげつないデマ言説じゃないんですかね、これ。
道徳もちだして他人の権利を、ましてや憲法に保障された権利を奪いにかかるとか、ほんと止めてほしい。


同調圧力かけてなにがしたいの?なにかいいことあるの?
……いいことあるんならイッチョカミさせてよ、しょーもないデマでも黙っといてあげるから。

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2017.08.02

電子書籍や配信音楽における版管理について【素朴な疑問】

電子書籍になっても、誤字はやはり「誤」としか表現されないのでしょうか(笑)。


古書であれ新刊であれ、紙の本であれば「初版マニア」は一定数存在します。
逆に、辞書は初版本は避ける、というひとも居るようです(誤字やミスのリスク回避だそうな)。

また紙の本の場合、重版や文庫化に際しては、加筆修正は当然のように行われますが……

電子書籍の場合、こういった「版管理」とその「入手権」ってどうされているのでしょう。買ったことがないのでわからないのですが。
やはり「奥付」があって、『2017年8月2日 第三版』なんて表記があるのか(第4刷、はありえないけど)。
ものすごい勢いで修正版が出て版数すごい数字になっていたりしないのか。
でも引き続き読めるのはあくまで「ダウンロード購入した時点の版」だけなのか。


……さて。
いままではリリースされたといえば「円盤に信号が物理的に固定された」ものであった音楽も、データとして配信されるようになり、なかには「配信限定」というものまで出てきたわけですが……

いったんリリースされた以上、従来通り微修正さえもすることってないのでしょうか???

たとえば、
「ミックスに"技術的修正"を加えた『Ver.1.05d』」とか、
「歌詞の"てにをは"を変えた『第二版』」とか。

データになった以上、そういう発想もアリだとは思ったのですが、ニュースの観測範囲では見聞きしないので、世界規模で実例有りや無しや?と、ふと。


べつにだからどう、ということはない、素朴な疑問です。

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2017.05.14

よのなかにSNSのなかりせばひとのこころはのどけからまし

生活のためにブログ&ツイートしているわけでは断じてないし、
「営利目的のカキコミ」は禁止です。(2015.11)
ブログ&Twitterのために生活しているわけでもないのですが、
書くネタは日々の暮らしからしか出てこないのもまた本当のところで、
読んだニュースに、見聞きしたできごとに、「このネタいただき!」とごく自然に考えてしまうようになって幾年月。

 

一日を終えてやっと「自分のパソコン」でTwitterにログインしたあとで、今日ツイートするネタが無い(あるいはその時間にはきれいさっぱり忘れている──わざわざメモするのもアレだし)ことに焦るのもよくあることで……というのはある程度共感いただけるのではないかとささやかな承認欲求を吐露してしまうわけですが(笑)。

 

 

幸か不幸か"自分のリアル知り合い"と"自分のネット嗜好"が重なることがないので、
リアルで話せりゃ、ブログは書かぬわ。(2014.03)
そのぶん「承認されなければという焦り」や「ムリヤリでもいいね!する義理」からは縁遠いのですけれども、
世間一般──リアルとネットが直結しているひとたち──の、日々の焦りや負荷というものは相当のものなんだろうなぁ、と、街を歩けばちかごろのポスターによくある「とにかく単語の前に#つけてハッシュタグ化」を見るたびに思ったりするのであります。

 

 

表向きは喜々として自発的に──でもホンネでは頑張って無理をして──競ってプライベートをSNSに曝すことで、危険を買って、ビッグデータに無償協力をして。
『バカッター』よりも恐ろしいこと(2014.04)
「フツーの人」ほど、自分を高く売るべきだ。(2012.03)
その先に何が待っているのでしょうか?

 

これはどこまで続いていくのでしょうか。
どこかで反動がくるのでしょうか、
それともエスカレートしたままなんでしょうか。

 

SNSがなければここまでは……。
しんどい時代ですね。

 

 

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