Web2.0はエコーチェンバーの夢を見たか
万人がスマホにかじりついているいまの時代に「ネット民」というラベリング自体が古代民と言われそうですが……
かつてネットに"住んで"いると例えられた時代を生きてきたんだからしょうがないでしょ!
さてその「ネット民」から10人を無作為抽出したら、いつも見にいくサイトはそれぞれ重ならない文字通りの"十人十色"になりそうですが、
10000人を無作為抽出してみても、お気に入りサイトは百からせいぜい数百通りに収まってしまうんじゃないかと思えます。
……かつての『島宇宙』、少し前の『フィルターバブル』、そしていま言われる『エコーチェンバー』の結果として。
(ところでこの3つのコトバ、同義の言い換えなのか意味するところが微妙に違うのか、どっち?)
「インターネット」と全体を語れば、広大である、というのは事実ですけど、
個々人が見に行ける──ましてや、好んで見に行く──範囲はごくごく狭い世界だ、という当たり前のことに、
ネットを手に入れたって視野なんて広がりはしない、むしろ固定化・強化されるだけだ、ということに気がつかずに、
なぜあの頃Web2.0だ何だと煽り煽られしたのでしょうか。
職務として巡回するのでもなければ、またネットウォッチャーでもなければ、そりゃ心地のいい場所にしか行くわけないですよね、完全プライベートなんだから。
あの頃のWebに本気で夢見たひとも自らの金脈として煽ったひとも「先見の明があった」ことでは変わらないと思いますけど、
あなたがたは、その先、いまのような──大多数はせいぜい両手で数えられる程度の特定動画にかじりつくような──未来を見通していたのかどうなのか?
どうしてこうなった。
べつに陰謀論もフェイクニュースもネット以前からあったわけですけど、ネットによってものすごいスピードと強さで広がっていっているわけで、これ相当マズい状態じゃないの、どうしようもないけどどうするのよコレ、と、結構怖い思いを持つこの頃です。
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