大予言2011、みたいな。
そんなノリでやってるんと違うか?
原発事故関連の「やたら危機を煽る言説」を丹念に収集され、ご丁寧に拡散して回ることにお忙しい方々のこと。
なんか既視感あるなぁ、と。
半ば真に受けていながらも、どこかで「自分は(影響から)外れる」と信じてもいる、ような。
そんな"匂い"の記憶をたどっていったら、『ノストラダムスの大予言』ブームを思い出した。
1999年7の月。恐怖の大王。
みんな知ってた(気に留めていた)昭和50年代。
このたびの原発危機を煽る情報の収集と拡散に余念のないひとたちって、もしかしてあの『大予言』に踊った世代が多かったりしないですか……?
ともかく、「終末論」ってひとを引きつけるなにかがあるんですね、というか、
こうなると「リテラシーが…」「科学知識が…」という次元の話ではないような気がするんですね。
(まぁ、リテラシーも科学知識も無いことには変わりないでしょうが)
この件ではネットが悪い、とは思わないのですが。
(ネットがなければもっと影響力があったはずの)タブロイド紙やゴシップ誌に煽りまくられていたでしょうから……
いずれにしても、「危機を煽る情報の収集と拡散」が、
"被災地"であるところの福島県浜通りをおもんばかるふうでもなく、また、
『積極的な情報公開」とか「正しく怖がる」とかいったアプローチでは解決しそうにない、ということに、
ものすごくどんよりした気分になるわけでございます。
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