2022.01.10

Web2.0はエコーチェンバーの夢を見たか


万人がスマホにかじりついているいまの時代に「ネット民」というラベリング自体が古代民と言われそうですが……
かつてネットに"住んで"いると例えられた時代を生きてきたんだからしょうがないでしょ!

さてその「ネット民」から10人を無作為抽出したら、いつも見にいくサイトはそれぞれ重ならない文字通りの"十人十色"になりそうですが、
10000人を無作為抽出してみても、お気に入りサイトは百からせいぜい数百通りに収まってしまうんじゃないかと思えます。

……かつての『島宇宙』、少し前の『フィルターバブル』、そしていま言われる『エコーチェンバー』の結果として。
(ところでこの3つのコトバ、同義の言い換えなのか意味するところが微妙に違うのか、どっち?)


「インターネット」と全体を語れば、広大である、というのは事実ですけど、
個々人が見に行ける──ましてや、好んで見に行く──範囲はごくごく狭い世界だ、という当たり前のことに、
ネットを手に入れたって視野なんて広がりはしない、むしろ固定化・強化されるだけだ、ということに気がつかずに、
なぜあの頃Web2.0だ何だと煽り煽られしたのでしょうか。

職務として巡回するのでもなければ、またネットウォッチャーでもなければ、そりゃ心地のいい場所にしか行くわけないですよね、完全プライベートなんだから。


あの頃のWebに本気で夢見たひとも自らの金脈として煽ったひとも「先見の明があった」ことでは変わらないと思いますけど、
あなたがたは、その先、いまのような──大多数はせいぜい両手で数えられる程度の特定動画にかじりつくような──未来を見通していたのかどうなのか?

どうしてこうなった。

べつに陰謀論もフェイクニュースもネット以前からあったわけですけど、ネットによってものすごいスピードと強さで広がっていっているわけで、これ相当マズい状態じゃないの、どうしようもないけどどうするのよコレ、と、結構怖い思いを持つこの頃です。

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2021.12.02

燃焼と不正の3要素

燃焼の3要素:可燃物-支燃物(酸素)-熱源
そのうちどれか1つを除去すれば、燃焼は止まります。


不正の3要素:動機-機会-正当化
同じことが言える(どれか1つを止めればよい)という言説がありますが、本当でしょうか?


さて企業不正というか組織事故というか、
それが品質不正であれ粉飾決算であれ何であれ、私利目的ではない"会社のために為す犯罪"であれば、
「動機」と「正当化」はイコールであり、不可分です──ニッポンのサラリーマンにとっては。
残る「機会」にしても、どんな不正も出来ない(はずの)システムを作り上げたところで、人間、切羽詰まれば、追い込まれれば、どんな悪知恵も思いつくものですし、目先の問題回避のためにはどんなことだってするでしょう──会社のために!


平時にいくら理念を説きコンプライアンス教育をしたところで、
"経済合理性の範囲で"不正ができない仕組みを作ったところで、
炎上中の現実を前にすれば、いとも簡単に無力化されるでしょう。


だいたいが、それら(試験成績書や決算書の書き換え)が「いけないこと」だというのは、わざわざ再教育するまでもなく、皆が理解しているはずなんですよ──理念としては、それ以前に道徳としても。
問題は、「それでもなぜ」そうせざるを得なかったか、そういう状況に追い込まれたのか?ということにあるはずで。
そこに踏み込まない限り問題は解決しませんし、不正は再発します──すると思います、ではなく、断言で。


 


虚偽の試験成績書や決算書などは、追い詰められた末に現れた<結果>のひとつにすぎませんから、
アウトプットのプロセスをいくら精査したところで、何の問題解決にもなりません。
企業不正を無くすためにはただ1点、「動機」を、<原因>を無くすより他にありません。


ですからそもそも、つねにルールを守った正しい判断だけを実行できるようにするには?ということで、
SDGsではありませんが、「誰一人追い込まない」ためにどうするのか、という話に尽きると思うところ。


組織も個人も、挑戦・背伸びしないと成長しないどころかイマドキ持続も危うい、というのが事実としても、
コンプラ視点で考える限り、身の丈に合わないことは組織事故のもと・100%のリスク要因、であって。


それが必要としても「健全なプレッシャー」で抑えておくためのリスクアセスメント/マネジメントというか、
成功者がそこらのインタビュー記事や御著書で煽りそれをイシキタカイ系が拡散するところの、
いつもいつでも前に前に前に!が正しいとは限らんですよ、というところ、そこは押さえておいていただきたく。


 


※個人の感想です


 

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2021.06.01

ゆでガエル神話の新解釈

いわゆるコンサルタント、客観の立場から組織改善を生業にする人たちが好んで使うたとえ話に「ゆでガエル神話」があるのは周知のところです。

あえて「神話」と書いた通り、
その話が実験的、科学的には【誤り】【嘘】だということが明らかになってもなお、
あくまで「ぬるま湯に浸かっていると~」「ビジネス環境の変化に対応することの~」という神話としての解釈に固執した講釈を垂れる連中ばかりであるように見受けられます。
どういうことでしょうか?
価値観の変化に対応できていない、というブーメランがあなたがた講釈師にキレイに突き刺さっていることに気付かないのでしょうか?

そうではなくて、ですね、

カエルなら水温が上がればすぐ飛び出すけど、人間は少々の無理や理不尽には──ましてや"ニッポンのサラリーマン"なら、なおさら──我慢や忍耐ができてしまいます。
そうやって我慢しているうち、徐々にその無理・理不尽がエスカレートして、やがてはあなたが"ゆで上がり"、再起不能になってしまいます。
だから無理・理不尽にはちゃんと声を上げるか、とっとと逃げましょう。

と解釈するほうが論理的だと考えますが。

みなさんどのみち本邦の組織人(サラリーマン)相手の講釈業なんだし、
いまメンタルヘルスが重要視される時代だし、
何も悪いことないんじゃない?と思いますけど。

いかがでしょうか?

あたしゃ講釈師でもなし、御代は頂きませんから、ご自由に。(連絡だけくれれば幸いです)

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2021.01.11

まやかしの SDGsに さよならを

分かってるか?SDGsはタピオカではないぞ!

日本において、新聞雑誌ラジオ(テレビは見ないから知らん)いずれでも、SDGsの文字と17のゴールアイコンを見聞きしない日はありません。
すごく便利で助かっているのでしょう──「いいことをしている」感が簡単に演出できて。

だけどね、あなた方。
その「17のゴール」の下部展開、「169のターゲット」までしっかり読んでから目標アイコン使ってますか?
どうもそうとは思えない事案が多すぎて多すぎて。

日本国外務省仮訳の参考リンク:農水省のサイトですがpdfではないので紹介


一例ですが。

『「無人駅」はすでに全国の半数近くにのぼり増加の一途──障害者対応に課題』というニュースに対して、
あるいは『鉄道だけでなく公共交通の路線網がどんどん減っていく』というニュースに対して、
目標11

のターゲット11.2

2030年までに、脆弱な立場にある人々、女性、子ども、障害者及び高齢者のニーズに特に配慮し、公共交通機関の拡大などを通じた交通の安全性改善により、すべての人々に、安全かつ安価で容易に利用できる、持続可能な輸送システムへのアクセスを提供する。


に反するのではないか?という批判を、メディアから見聞きしたことがないんですよ。

各メディアとも、社としてSDGsに取り組む、取り組んでいます、といいながら、これは一体どういうことなんでしょう???
取り組み、というのは、あたらしく何かを始めることだけではなくて。
「維持する」というのも大事なことではないのですか。
なぜどこも誰も、SDGsに絡めて問題提起しないのでしょうか?

だいたいが公共交通を運賃収入での独立採算が大前提で運営させている先進国なんて日本くらい(空運除く)という話もあるみたいですが、それはまた別の話で。


"SDGs wash"という熟語があるようです。
"whitewash(ing)"=うわべだけ取りつくろううこと、という単語から派生して、
"greenwash(ing)"=うわべだけの環境訴求、という単語が作られ、
その延長線上にある言葉だといいます。

まぁ英熟語があるということは、それが日本に限らず世界中の問題であることを示しているとも言えますが、
17のゴールのアイコンに書かれた数文字の語感だけを見て自分の取り組みをアイコンに結びつけて満艦飾アピールするだけなら、
広義のコンプライアンス違反ですよ。

うわべだけなぞって「やった気分」にならないでほしい、と、切に思います。
繰り返しますけど,SDGsはタピオカじゃないんですよ。
日本国内の取り扱われ方見ていると、ほんと、いっときのブームとして消費する気満々にしか見えなくて。

 

※個人の感想です、言わずもがなですけど!

 

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2020.12.03

理念と多様性と

※個人の感想です

多様性を認めないといけない、といわれる時代になりました。
なんらかの属性で区別して門前払いすることは道徳に反しますし、その点では正論であるのでしょう。

他方で。
理念(Principle)、哲学(Philosophy)、信条(Credo)……表現はさまざまですが、「組織運営に通底させるべき思想」を浸透させることに、企業は多大な労力をかけます。
また、伝統的にも「一枚岩」「一致団結」というのは好まれるキーワードです。

であるならば、実際に認められうる"多様性"というのは「理念の範囲をこえない公差」、
悪くいえば「タコツボにぴったり収まる範囲の個体差」にすぎない、ともいえるでしょう。


さて、"自分ごと"として考えてみてください。
日本人──国籍ではなく、日本で生まれ育ち日本の学校教育を受けた、日本企業で働くサラリーマンというほどの意味です──が「受け容れ可能な多様性」の範囲など、たかが知れているのではないですか?
……営利企業のメンバーとして、あるいは使い使われる立場として。

均質どころか金太郎飴とさえ揶揄される今でさえ、みんなそれなりに苦労するのに。
「多様な考え方」に対して議論し、説得し、納得させて動かさねばならないとすれば、あなた方全員、現況とは比較にならないコミュニケーションストレスを抱えることになりますよ。
21世紀の日本企業に求められる「メンタルヘルス」と、それは果たして両立できるとお思いですか?


俗に「組織に新しい風を入れたい」と言いますが。
風が弱ければ、多勢に無勢、既存の組織文化に取り込まれなじんでゆくだけでしょうし、
風が強ければ、組織秩序の破壊者となって、今後も守ってゆきたかった組織文化までも吹き飛ばされるでしょう。

巷の雑誌記事が、もしくはコンサルタントが何と言おうと、「悪しき習慣だけが消えて、イノベーションが続々生まれる体質になりました!」などという都合のいい事態があなたの組織に起こり得る、というのは、確率的にまず無いと考えていいでしょうね。


※個人の見解ですよ、くどいけど

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2020.05.22

「ハッシュタグ・ポリティクス」の憂鬱

個別の案件には触れない。
未来の自分が見返したとして、たとえば「検察庁法」の文字列に「何だった?」と思うだろうし、むしろそうなることを望みたいから。

 

……だから、決して個別の案件云々ではなく。
ハッシュタグつき政治案件ツイートが何百万とされました、それがために現実の立法行政が方針転換しました、ということが実際に起こったとして、それが──そんなことが起こり得る社会が──本当に善きことなのか。

左方向で起こったならば右方向でも容易に起こり得るぞ、それでいいのか?
ただでさえ社会インフラたらんとはりきるTwitter(Japan)が、またまた全能感に拍車をかけるだろうけど、それでいいのか?

著名人であれミヂカリスマことSNS有名人であれ一般大衆であれ、意見表明そのものを悪いとはいえないだろう、道徳としては。
だとしても、現代日本のインターネット空間で、ましてやSNSなどで機微に触れる発言をしたらどうなるか、を分からないユーザーなどいないだろう? ふだん反応に敏感な──敏感でなければ生きていけないはずの──人気商売やってるなら尚更!

賛否双方から突撃を喰らい、
「誰が乗って誰が乗らなかったか」でレッテルが貼られ、
発言することの是非、という入り口論で沸騰する。

SNSで沸いたことが問題の中身に対する議論につながったことがあった、とでも?
中身の議論から遠ざかるだけじゃないですか、徹頭徹尾。
荒れが加速するだけでなんのメリットもありはしない。
……話の内容にとっても、あなた個人にとっても。

現代日本のインターネット空間──とりわけSNS周辺──の、それが現実じゃないですか?
いつまで無邪気に、あるいは分かっていてわざと、無節操なハッシュタグブームに乗るつもりなんですか。

 

政治の話をするな、と言いたいわけではない。
ただ、インターネットは、とりわけSNSは、政治について意見表明するにふさわしい場所では、断じてない。少なくとも現代の日本語圏においては。

 

……無論こんな願いもむなしく、これからますます不毛なハッシュタグ合戦が繰り広げられてゆくのでしょう。
そんないっときのノリで、立法行政が誘導されてしまうなんて……この憂鬱が杞憂で、ほんの瞬間的なブームで終わることを願います。

 


 

わたしは昔から今も変わらず、個人が個人の資格で発信することなんて趣味余暇娯楽の領分に留めておけ!と思っています。
インターネットを政治で汚すな、というのが本音です。

それは身勝手だとしても。

インターネットを政治で荒らすな

政治でインターネットを荒らすな

とは言わせて欲しい。もちろんインターネットの部分を各SNSに代入しても、同じく。

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2018.11.17

腕組みと陶酔のあいだ

ライブやフェスというものに行ったことがない。
人生の何割か損をしているのかもしれないが、別にいい。
ウォークマンの昔から「音楽を持ち歩く」ということをしたこともなければ、"NO MUSIC, NO LIFE"なる某チェーンの煽り文句には違和感しか感じないのだから。

 

──とはいえ前居所では今は亡きSt.GIGAとMTVを、現居所ではM-ON!スペシャを視聴できる環境にあるので、一応はJ-POPシーンを追いかけるようにはしているのだけど──

 

そういう音楽チャンネルの中では当然ライブやフェスの映像も流れてきて、それらを見ていると。

 

どれだけ歌手(アーチストといわないといけないんでしたっけ)が、千に届かんとする観客を陶酔の境地にまで高めたとしても、かれら歌手の一番近いところにいるのは……

 

舞台袖で腕組みしているエライサンであり、
音符ひとつも耳に入れないで走り回るスタッフであり、
客席最前列のさらに前で盛り上がればその分だけ客に険しい顔を向けている警備役、だ。

 

 

"中の人"に是非聞いてみたい。

 

あなたがたは、その「腕組みと陶酔のあいだ」に立つことについて、自身の中でどう折り合いをつけているのか。最初からその落差を受け入れることができたのか。

 

はた目には尋常な精神力では耐えられないと思うのだけど。

 

 

ライブやフェスというものに行ったことがない。
人生の何割か損をしているのかもしれないが、あの陶酔の中に身を置けるとは思えないから。
……袖で腕組みさせてもらえるなら、行くけど(笑)。

 

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2017.10.20

投票に関する「いい子発言」圧力と、危険な棄権デマに震える。

投票日が近づくと沸いてくるんですよね、

「自分が票を投じても(思うようには)何も変わらない」
当たり前やろ、その1票で変わるようなら、あんたすでに一般人ちゃうわ(笑)

……そこで。
おまえの願いを通したけりゃ「闇将軍」「フィクサー」「財界総理」目指してのし上がれよ!なんてゲキ飛ばすひとの10人や20人、居てもいいんじゃないの、と思うんですけどねぇ??


回答が揃いも揃って「それでも選挙には行きましょう」って、もうね。

日常どれだけふざけて、どころかモラル逸脱上等な発言繰り返していてさえも、投票行動──ただし国政の、しかも総選挙限定──についてだけは、揃いも揃って「道徳的」「優等生」発言しかしない(できない)、のは見ていて痛々しいんですが。

そういう発信しか許されない"暗黙の同調圧力"を、何とも思わんのかあんたら。

それが怖くて怖くて、ほんと身も凍りますわ。


「それでも選挙には行きましょう」、そこまでで抑えているなら別にいいんですよ。天下の正論だ。
だけど、これまた投票日が近づくと沸いてくるんですけれども、

棄権や白票は白紙委任に等しいから、今後そいつは政治(家)について一切の物申す権利を失うんだとか、そういう悪質なデマは断じて許されませんよ
日本国憲法第十六条(前段)に自分勝手な前提条件つけんといてくれるか?

闇将軍はともかく、そして選挙をないがしろにしていいわけじゃないけれども、
政治への参画は、自らの影響力の行使は、なにも選挙に行くだけじゃなかろうが。
ましてやモノ申す資格として「毎回選挙に参加し、かつ有効票を投じることが前提になる」とか、いいかげんなデマをまき散らすのは止めてほしい。


知っていますか?
物申すやり方、権利の行使のやり方、というのもいろいろあるんですよ。
たとえばなにかの圧力団体(という単語は義務教育で習ってるはず)に属することで要望を伝えていく、というのも真っ当な道のひとつ。
陳情や請願や署名を出したとして、だれかがそいつの選挙権行使履歴をいちいち照査するの?

選挙棄権したら政治に対して一切の物申す権利を失うんだとかデマをまき散らす馬鹿者どもへ。
日本国憲法第十六条を一読(できれば声に出して三読)したなら、己の不明を恥じて即時取り消していただきたい!
相当えげつないデマ言説じゃないんですかね、これ。
道徳もちだして他人の権利を、ましてや憲法に保障された権利を奪いにかかるとか、ほんと止めてほしい。


同調圧力かけてなにがしたいの?なにかいいことあるの?
……いいことあるんならイッチョカミさせてよ、しょーもないデマでも黙っといてあげるから。

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2016.03.02

「ワン」でも「マン」でもないだろう?

わたし自身は「音楽を持ち歩く」という習慣が無いだけでなく"No Music, No Life"なる心情も理解できないような人生&生活を送っているわけですが、そんなわたしのTwitterタイムラインになぜか「ワンマンライブ」の文字がひんぱんに踊るわけです。

 

その「ワンマンライブ」をするのは、いつも『バンド』もしくは『女性グループ』なんですね。

 

いや、グループやったら、「ワン」マンちゃうやろ、と。

 

ましてや女性グループが「ワン」でも「マン」でもないだろうと。

 

……ねぇ、だれか。
漢字で「単独公演」、せめて「単独ライブ」と表記しない?できない?してはいけない?客観的・合理的な理由がどこかにあるのなら、ぜひとも教えていただきたく、よろしくお願いいたします(笑)。

 

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2015.12.03

今はただ、エンドロールを見る日まで──ココログ12周年

ブログを始めて3ヶ月やそこら、どころか、ときにはほんの3週間ほどで、わかったような雑感エントリをものしているブログを見ると、「愛いやつ★」なんて思ってしまうTristarです、こんばんは。

……まぁ、だれしも通る道、ですわね。
ここにも、こうして12回目の周年エントリを書いているひとがいます。


ココログと、そして、1日おくれで始めたこのブログも、12周年の日を迎えることとなりました。

もう、年に数エントリというアクティブとはとてもいえないペースに落ちてはや数年、
図らずも「大いなる遺産」となった以下の『3大雑学エントリ』でアクセスを維持している状態。

しらない間に訴えられて被告になっていたでござる、の巻(2010.05)
胸骨圧迫(心臓マッサージ)に最適なBGMを探せ【J-POP編】(2011.11)
【季節の?トリビア】『大掃除』は法律に規定された義務でございます。(2008.12)


ネット&ブログで起こるあれやこれやを書くブログは激減し、言及しようにもできる相手はすでに無く。
……2010年代にブログデビューしたひとにしてみれば「しらないだれかに言及される」なんて、もしかしたら恐怖でしかないのかもしれませんが(苦笑)。

毎年の繰り言もアレなので、コミュニケーションどうこう、とは書かないことにします。


今はもう──って前にも書いたかもしれないですが──自分が使っているそれぞれのサービスが終了するその日まで、自らアカウント消去する事態に陥ったりすることのない、そんなネット人生を全うしたいと、ただそれだけの想いでいます。

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