ときどき再確認しておかないといけないこと。
べにぢょのらぶこーる - あなたは私の妄想じゃない:
紅を泣かせたり笑わせたりするのは、妄想世界の住人ではなく現実に生きている人間です。
そうだ、念のため確認しとこ。
あなたは私の妄想じゃない・・・よね?
どうかな?(笑)
(少なくともこうしてトラックバック送るまでは)生きている、って意味では妄想じゃないですが、
でももし"理想の読者"を仮想(設定)しているのだとしたら、(皆が皆)そうでもないから。
だからいろいろモメゴトが起こったりするんですね。
誰もがネットでまで不愉快になりたくはないはず、にもかかわらず。
関連→画面ノムコウ(2005.12)
#とはいえ私も結果的には不愉快の一翼を担ったこと多々あるわけでして何かと申し訳ないです>関係の皆さま
……ということを改めて考えたのは結構グサグサとくるものを読んだからでして、多分はじめてヴァナ日記系にトラックバック送るわけですけど、
ChaboのFF11日記+ - 去り行く人たちへ:
なぜ団体行動しなければならないの?
なぜ毎週決まった時間拘束されなければならないの?
(中略)
なぜゲームで愚痴を言わなければならないの?
なぜ人間関係に巻き込まれなければならないの?
(中略)
なぜ義務を負わなければならないの?
なぜゲームしているのに楽しくないの?
なぜ苦しいの?
「つよくなる」ために、人と人とで一緒にしなきゃならないことが多すぎるから。
自分ではない、誰かと。
楽しいゲームって何だ? と、改めて問います。
上で「なぜ」に載っているものは、全て強制されてやっていることです。あなたが自発的にやっていることじゃない。
うーん。
「つよくなる」ため、「地位を上げる」(レベルやら装備やらミッション進行やら全部含めて)ために、その"制約"のなかに自ら入っていった部分もあるのではないかと。
「みんなで」すること、だから、誰かの理想そのものであってはいけない。
みんなそれぞれに不満が残って、但しその大きさを「できるだけ平等に」「できるだけ小さく」しないといけないのだけど。
いつでもどこでも難しい話。
まぁ、でも、「約束ごと」が「縛り」に暗転してしまうのはなぜなんでしょうね……
上を目指せば際限のないあのゲームの中で、「つよくなる」ことと「楽しく─字面通りおもしろおかしく─過ごす」ことが、どこかの時点で両立しえないものになってしまうのだろうな、とは思います。
デスペナがいやで。
必ず何曜日の何時にイン、ということは自信も保証もやりたくもなくて。
(おかげで裏もリンバスも(以下略)未経験ですが)
水色の文字で流れる掛け合いをただ笑って眺めていたかった、それだけを望んで。
誰もいなくなったLSをつけたまま、キツそうなシャウトの飛び交う白門でたたずむだけの今。
なぜ今日も繋ぐのかって?
「次の何か」が見つからないから、かな・・・。
(止めてから探すのはリスクだし(苦笑))
「次の何か」でも、繰り返すことになるとは思うのだけど。
たとえそれがネットの外であっても。
「誰かと何かをする」、かぎり。
……見えない自由が欲しくて
届かぬ文字を打ちまくる
あるべき居場所を教えておくれよ……
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